サイト管理人からお寺へ
サイト説明に記載したような「信心に悩んだ時にどうするか、どこに主軸を置くか」という話は
本来、住職さんが【信徒個人に合わせた具体的な内容として】伝えるべき事だと私は思っています。
そういった指導のできる素晴らしい住職さんもいらっしゃいますが、まだまだ少ないからこそ、信心に悩みを抱え、折伏どころか日々の勤行さえなかなか続かない信徒さんも多いのです。
これを解決するには、住職さん個人の能力に頼るだけではなく
大石寺が全ての僧侶に対して下記のような教育を取り入れて、一般信徒向けの指導技術の向上を図る事が大切かと思います。
宗教と企業活動は目的も業態も異なる世界ですが、信徒への教育・講話について活用できる技術は多くあります。
コーチング、企業内経営、サイレントカスタマーの対策(マーケティング、消費者行動心理)、カウンセリング etc…
そのまま直接転用する事はできないと思いますが、
それを信仰に役立つよう、上手にアレンジして僧侶に教えていく姿勢と柔軟性が、これからの広宣流布の鍵となるでしょう。
今の大石寺は末寺の一般信徒にとって、学者・研究者・評論家・批評家的な人材(住職さん)を多く育てていて
「一般信徒に対する教育」が可能な人材を育て切れていない様子に伺えます。
簡単に言うと【 得度した人 同士でしか通じない認識と言葉で、一般信徒に語り掛けている 】という事です。
いくら正しい事を伝えていても、一般信徒が理解し、実行しやすくなる伝え方をしなければ意味がありません。
これはスポーツで言えば、プレイヤーとしては優秀でも、監督としては良い結果が出せない状況。
医者で言えば、研究者としては優秀でも、現場の病院では患者に適切な問診ができないために
的外れで効かない処方を出し、患者のケガや病気を長引かせ、時に悪化させる医者と似たような状況です。
(長じて、患者である信徒はそんな医者のいる病院・住職さんのいるお寺には来なくなってしまいます。)
一般信徒へ向けた指導方法・指導技術の向上でこのような状態をクリアできれば、幽霊部員と化した信徒さんの復帰も叶い、信徒一人一人の信心(勤行・唱題)のモチベーションも上がるでしょう。
その結果として、御本尊様の功徳を感じる人が増える事で、折伏と広宣流布も進みやすくなるのではないでしょうか。
もちろん、今のままできる方法も1つあります。これは私事ですが・・
御本尊様への唱題の功徳を経験すると、その信徒は自然と人に話す(折伏する)のです。嬉しくなって話したくなるのです。
そして功徳の経験を重ねる事で、御書や御講での話に真実味が出てきて、信心が深まるのです。
なので、折伏とダメ出しだけで終わる御講や
自行の継続自体に大変な努力が必要な状態にある多くの信徒に対して、化他行の大切さをメインに説く「現場を離れた指導」を止めて
「信徒が勤行をしたくなる前向きな話、唱題をしたくなる前向きな話、お寺に行きたくなる話」をしてみませんか?
そうすれば、せっかくお寺に興味を持って一緒に御講へ来てくれた信徒の友人・知人が、折伏とダメ出しばかりの御講を聞いて
ゲンナリして二度とお寺に来ない、という残念な事態も防げます。
総本山の現場とかけ離れたお達し(スローガン)もありますから、板挟みとなる住職さんの厳しい立場もわかるのですが
それで貴重な入信と 新入信徒さんの即身成仏の機会を逸してしまうのは、とても勿体ない事だと思うのです。