~ 管理人からのお誘い ~

(・ω・)ノ あなたも  書いてみませんか?

オアシス035をご覧くださいまして、誠にありがとうございました。一般信徒であり、役員でもない管理人による 至らない点の多いサイトですが、日蓮正宗の信徒の皆様にとって、生涯続けられる水の信心の一助となれましたら幸いです。

書きかけや、至らない部分については、少しずつ手入れや更新を続けていく予定です。


信心には、信徒の数だけ様々な考え方、捉え方、実践方法があります。 

大聖人が御存命の鎌倉時代には、存在しなかった物事も現代にはありますから、御書の内容だけでは実践方法として難しい事態も起きています。

なので…

絶対にお寺から離れない事、日蓮正宗の御本尊様との御縁を保つ事、お寺の住職さんのお話を基本とした上で

個々人の事情に合わせた 生涯続けていける信心を作っていく事が大切です。

大石寺にとっては、これまでのトップダウン一辺倒ではなく【芯を保持したボトムアップの体制】を作り、より時代に即した信心指導の方針を住職さん達に伝えていく事が必要です。


(例えば、医療の発達における重度の呼吸器疾患や脳疾患=言葉を発する事・脳内の酸素を使って思う事、念じる事が難しい患者さんの長寿・存命と、信心の方法など。

鎌倉時代なら、数日で亡くなってしまうような患者さん達の信心についてです。

私事ですが、これについて回答をした住職さんはいませんでした。2名の住職さんに相談したのですが...。

その割に、私が10年かけて多少なりとも回復し始めると、まだ主治医や家族との意思疎通が3割~7割の不安定な状態であるのに、折伏が上がらない事を「命を懸けろ」「慈悲がない」などと直接・個人的に言う訳です。 本当に慈悲がないのは何方でしょうか?w 病状が不安定な中で症状が逆戻りした時に、どう信心をしたら良いのか。状態が酷かった10年前の質問に対する回答も置き去りにしたままで、あまりに酷い話です。

大石寺の中で、健康な男子のみという得度条件、健康な人間しか成し得ない指導方法が当たり前に通用すると無意識に信じさせる世界を作っておきながら、介護施設や特殊な難病患者の集まる小児病棟等でのボランティア経験さえさせていない様子の総本山の指針は、

命を懸ける事の現実的な意味(=ぽっくり即死や、数日で死ねる訳ではない事)、難病患者の生活状況を何も理解できていない住職さん、病状に応じた適切な信心のアドバイスに繋げるために、信徒の話を聞こうとさえしない住職さんを作ってしまう訳です。 悪気なく、無知ゆえに広宣流布を後退させかねない住職さんを作っているのです。

こういう住職さんは、この世に体をもって生まれてきた意味さえ忘れているのでしょう。死後の世界では、自分と同じ性質・同じレベルの魂の世界に行くと言われています。御書にも書かれていますが。 という事は、自分より上の魂を持つ人から学び、自分より低い魂を持つ人の成仏を手伝う事ができるのは、生きてる間だけなんです。

話一つ聞かずに的外れな回答をするだけという問題の住職さんは、現世に体をもって生まれた甲斐がないようにも見えます。死んだら私のような変人には会えないというのにw(お互いに死後にまで会いたくはないでしょうがw)

健康な人間の傲慢さを押し付けるだけの困った住職さんを見ながらも、御本尊様の功徳を実感して尚、信心に邁進できる身体的に困窮している信徒さんは、一体、どの程度いるのでしょうか。私のような信徒は稀だと思いますw 自分で言いますw 稀です!貴重です! 日蓮正宗にとって、意見に耳を傾けるべき貴重で重要な人材です。

今日日、学校の教員免許状を取得する大学の過程でも介護施設の実習は必須となっていますから、住職さんという指導者を育てる大石寺も、教育システムを見直すべきでしょうね。

特殊な疾患により身体の弱った人々が、日常生活でどのような工夫をして生きているのか。正宗の信心をしていない患者さんと、信心をしている患者さんの違いは、非常に良い勉強になると思います。病人を十把一絡げに見て、お坊さん自身が功徳をわかっていないケースって、多いですから。精神論ではなく、体が動くという現実があるのです。例えば、50年かけても全く動かないはずのものが、10年で少しでも動くようになるという世界です。

それはさておき。

2名のうち、どちらの住職さんも回答できなかった理由は「御書に書かれていないから、立場上、下手なことは言えない」という推察ができます。【時宜に応じて行じなさい】という大聖人の御言葉の意味を、総本山が具体的にお坊さんに教えていないようにも感じます。)


オアシス035で紹介した内容は、管理人個人の経験による考え方、捉え方、実践方法です。 

生涯続けていける水の信心については、信徒さん一人一人の状況に応じて、他にも沢山の方法があると思います。

このサイトを閲覧して下さった日蓮正宗の信徒さんにも、ぜひご自身の「信心を続けるための考え方、捉え方、具体的な実践方法」を紹介して頂きたいと思っています。 

大石寺へ参詣したり、所属の末寺に参詣すると、他の信徒さんの様子が伺えて非常に勉強になり、信心(勤行など)の励みとなります。

そういう信心の励みとなる経験を、インターネットを通じて日常的に得られたら良いなぁというのが管理人の思いです。


水は、地球上の全ての生き物にとって必要不可欠なものですが、生き物の種類によって(個々の持って生まれた性質や状況によって)水の取り入れ方は様々です。


日蓮正宗の信心も同様に

【それが水である(=御本尊様 と、正しく功徳を引き出せる日蓮正宗の住職さん)】という大前提はそのままに、

日常生活でどのように取り入れていくかが大切となります。


信徒の数だけ抱える問題、生活状況、物事の考え方は様々ありますから、住職さんのお話を基本とした上で、

信徒それぞれの「信心を続けるための考え方、捉え方、具体的な実践方法」を紹介する場所(知る事のできる場所)を増やしていけたら幸いだと考えています。 


このサイトをご覧になられた信徒さんは「ウンウン。その通り。じゃあ、水の信心を自分もやってみようかな。」「これは違う。」「ここは良いけど、ここは違う」など、日蓮正宗の御本尊様への信心を継続する観点で、色々な感想をお持ちになられたと思います。

そこで、ぜひご自身の信心についてのサイトを作って、インターネット上に広く紹介して頂きますようお願いいたします。それは必ず、御自身と似た状況にある人の信心の助けとなります。

また、日蓮正宗の住職さんや修行中のお坊さんの目に止まれば、「こういう状況で信心をする人がいて、こういう風に考える信徒さんがいるんだな」と知って頂くことができます。

そうして住職さんの知識や視野が広がる事で、より有意義な御講が聞けたり、より適切な信心の相談ができるようになる可能性もあります。


日蓮正宗の御本尊様との人生最大の良縁を、生涯保って成仏できますよう、 お互いに助け合える場所が広がりますように。

信心を続けていく事で多くの信徒さんが功徳を経験して、未入信の方へ御本尊様との御縁をお誘いできますよう願っております。


(結局… 住職さん達には、少し気の毒な面もあるのです。正宗ではお坊さんの副業は禁止されていますから、多くの信徒を指導する立場にありながら、色々な社会の現実を具体的に知る機会が少ないのです。 新聞やテレビ、週刊誌だけでは到底、及ばないですし。

おまけに、日々の勤行や信徒の先祖供養だけでなく、御授戒を行う事で責任とともに大きな功徳を得ていますから、住職さん自身が当事者として大きな問題にぶち当たる事や、細々した、けれど見逃せない複雑な問題に日常的に振り回される事は(一般信徒に比べて)少ないです。

そこへ「御書にない事は言えない」というような原理主義の基本が重なると…

結果的に、正しい事を言っていても   説明が絵に描いた餅のような御講になって信徒に理解されなかったり、個別の相談に対して平和ボケした回答が出やすくなり、信徒を無駄に悩ませるケースが出てくるのです。

そこから、管理人の中では日蓮正宗の御本尊様への修行は「最大のジョーカー(ワイルドカード)であり、チートだ」という解釈も出てきました。

参照:信心のヒント「お寺の中で立場のある人から、心無い言葉を聞いたと感じたら…?」

日蓮正宗の信徒による信心のサイト(どういう状況でどんな信心をしているか。どんな日々を生きているかという紹介)が増える事で、住職さん達が現実を知る機会を少しでも増やせたら‥とも思っています。

「折伏のために」と、全て良い事づくめで書かなくても良いんです。ただ信心の状態と現実をありのままに書く事で、それを参考に同じ日蓮正宗の信徒さんが信心を続けやすくなるように。住職さん達が、より良い指導に向けた参考資料を得られるように。

信徒として、今の正宗のお坊さんではできない事(必要があるのにできない事)をしていけたらと思っています。)

オアシス035
2020年2月12日 サイト工事開始
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