功徳あれこれ

日蓮正宗の御本尊様の功徳は、どんな風に顕れて、どんな場面で実感できるのでしょうか。

お寺の新聞や体験談の本にあるような、劇的にわかりやすく顕れる体験談だけが功徳ではありません。

「毎日 勤行をしているのに…。本当に功徳はあるのかなぁ」そう思う日常にこそ、転重軽受・更賜寿命による功徳が顕れています。

このページでは、毎月の添書登山で出会った信徒さんの様子や、管理人と家族の経験から、水の信心による功徳についてご紹介します。

※ ここで御紹介する個々の功徳の経験が

顕益か、冥益かという話は、ここではしません。


転重軽受・更賜寿命の功徳と経験


サイト管理人の母の経験


昨年の夏、60代の母が足腰の痛みと異常な怠さを訴えて、家の中でトイレにも行けない(短距離の移動ができない)ほど状態が悪くなりました。

病院で検査したところ、CTで腰に重度の脊椎損傷が見つかりました。 医師からは「この脊椎では通常、立つことも歩く事もできません。一生寝たきりで、排尿も自力ではできません」と言われたほど重度の損傷でした。

当時の母の状態は、痛みで移動に困難があり、寝ても座っても酷く痛む状態でしたが、這ってでもトイレの便座に座れたら、排尿は自力でできました。ですが、このまま症状が悪化すれば 医師の診断通りになる事は予想できる状態です。

では、そこまで脊椎を損傷した原因は何かというと、母親が4歳の時に遭ったバイクとの交通事故でした。現在60代の母ですが、これほど大きな脊椎損傷を負うような出来事は、他に思い当たらないそうです。

母親が4歳で事故に遭った当時は、まだCTやレントゲンの開発・普及が追い付いてない時代です。往診で診察した医師は、触診し、巻いた座布団の上に腰が当たるように母を寝かせて「しばらくそのまま安静にしているように」との手当てで帰ったそうです。

その後、母は無事に起き上がれるようになり、幼稚園から学校卒業まで 体に大きな不調を感じることなく過ごし、就職・結婚・出産・子育てを経験していきます。

昨年聞いた医師の話では、4歳の事故当時から寝たきりで、導尿カテーテルをつけて生きる事になっていた可能性が非常に高く、出産など考えられない状態だそうですが、実際は私と姉の2人の子供を出産し、顎やお腹の不調(骨髄炎・潰瘍性大腸炎など)で寝込む時期がありながらも、60年間を普通に生きてきたのです。

(父が転勤族だったので、引っ越しも何度か経験しています。母の損傷した脊椎では、幼い私や姉を背負いながら、大きな箪笥を一人で動かすなど到底できなかったはずなのですが…。)


そんな訳で、昨年の医師の話から【状態は非常に悪いけれども、60年間も無事に動けていたことが奇跡で、本当によく保った】という事がわかりました。

母の人生は、子供時代も結婚後も、普通とは異なる苦労が多く(相談できる人や、同じ悩みを抱える母集団がいないほど特殊な苦労が多いため) 決して生きやすい人生・恵まれた人生ではなかったのですが、「功徳って、こういう事なんだね」と親子で話し合いました。

転重軽受・更賜寿命の功徳は、窮地を救って頂けても、その後が素晴らしく幸せになる、苦難がなくなるという事ではなくて。

成仏のため、遠い過去世からの多くの罪障や因縁を、効率よく今生のみで解消するために、命が伸びるという事なのだと実感しました。


母と日蓮正宗の御本尊様に深く感謝するとともに、私は所属の末寺へ行って、住職さんに御祈念をお願いしました。

(母の脊椎損傷のCT画像コピーを持っていき、状況を説明。「痛みが少しでも緩和して、過ごしやすくなるように。少しでも動けるようになって、家の中でトイレへの移動がスムーズにできるように。」との願いを申し込みの用紙に書きました。)

その後、母の状態は徐々に回復して、御祈念を頂いてから1ヶ月後には 重い物を持たなければ自由に動ける状態に回復してきました。半年後には長時間の同じ姿勢を保つ事(テレビを見て座り続ける、長時間歩くなど)が可能になってきて、今現在は元の動ける状態にほぼ戻っています。



ではここから

60年が経過した後に、御本尊様から大きな功徳を頂いていたことがわかったサイト管理人の母の信心と、祖父母から孫まで三代続く日蓮正宗の信心の状態は、どんな様子だったのかをご紹介します。

(結論としては、日々の勤行と唱題、スケジュールの合う時に行く支部登山くらいです。)


サイト管理人の私は、祖母の代からの日蓮正宗の信徒です。祖父母、母、姉、私の三世代で続けています。

信心の状態は、祖母は朝夕の勤行を毎日 規則正しい時間で欠かさず行っていました。ただ、唱題や折伏に熱心であるとか、お寺の役員になるとか、そういう事はしていませんでした。

母親は子供時代から独身時代は毎日の勤行と唱題(お線香が1本なくなるまで)をしていましたが、結婚してからは10年~15年間ほど、日々の三唱だけで精一杯な状態が続いていました。

(当時、父親は未入信で、宗教や信仰に後ろ向きでありながら、形式のみに憧れて邪宗の寺社仏閣に手を合わせる状態。母は骨髄炎の手術や潰瘍性大腸炎などで寝込む事が多かった時期。

姉と私は赤ん坊の頃に御授戒を頂いていたものの、日蓮正宗について詳しく教えられていなかった事もあり、子供の頃は父と邪宗の寺へ初詣に行って手を合わせる状態でした。

夏休みは祖父母の家へ行き、祖父母の所属する末寺へ参詣したり、御開扉に連れて行ってもらいましたが、大晦日はいつも、初詣の行先について両親が喧嘩している状態でした。)


姉と私が中学生になる頃から、母と三人で大石寺の夏期講習へ参加したり、御講に参詣して、家でも少しずつ勤行をするようになりました。

そうして日々の勤行ができるようになって約10年後、私の2つ目の大病と難病の悪化とともに、母は毎月の御開扉(添書登山)を受けるようになりました。それから更に10年近く経ち、今現在があります。

(サイト管理人の私は、小学生で1つ目の難病を発症し、20代で2つ目・3つ目の大病と難病、後遺症を抱えています。

私は就職した22歳から毎月の添書登山に行っていました。その後に発症した2つ目の病気の悪化で登山を続けられなくなったところ、母親が車で連れて行ってくれるようになり、2人で行く毎月の御開扉が始まりました。)



三世代の信心の様子はこんな感じで、祖母も母も私も姉も、お寺でよく聞くような数合わせの折伏合戦はしていません。

母親が4歳の時の信心では、祖母の朝夕の勤行だけでした。母自身の唱題は、小学生になってからの事です。

祖母も母も姉も私も、機会を見て縁のある人に日蓮正宗の功徳を話し、お寺に誘った人は複数名いますが、その結果が入信(御授戒)に繋がった人は(去年の夏までで)母の知人1名です。

(家族を加えると、法統相続を含めて母の折伏は4名。)


つまり。

お寺で言われているような100%の信心ができなくても、母のような大きな功徳が得られるのです。

もちろん「(信心について)こうすれば、もっと良くなる」と言える部分は多々あると思いますが、それでも十分に転重軽受・更賜寿命の功徳は得られるんですね。

「功徳って何だろう?」と思いながら勤行をしている信徒さんには、どうか希望を持って、信じて勤行を続けてほしいと願っています。

そして、この転重軽受・更賜寿命功徳を多くの人が経験して、多くの人の即身成仏が叶うように、縁のある人へ伝えていきましょう。

「気付かないけれど、得ている功徳」によって、死ぬほどの危機に対して気付かない内に延命して、転重軽受・更賜寿命という即身成仏への歩みを確実に進めているのです。



管理人の経験

唱題と御開扉の功徳


2つ目の病気が悪化する一方だった頃、毎日30分~1時間の唱題を始めたところ、1カ月で小学生からの難病に対する希少な医療器具と巡りあえました。

この結果、病気の相互作用のためか、2つ目の病気については唱題2カ月目で手術の予定が消えるほど改善し、今は寛解して2つ目の病気については薬を処方されていません。

治る病気ではないので年に1回の検査は必要ですが、2つ目の病気についてはほぼ終診の扱いです。

また、唱題については20分を超えた頃から体の痛みが引いていきます。薬の効かない痛みが引いていくので、本当に助かりました。唱題を始めた頃は、1回の唱題から6時間~8時間くらい経つと再び痛み始めるので、1日2回の勤行(唱題)の大切さを実感しました。

体が痛い時や苦しい時は、声も出さずに動かずいたいのですが、大変ながらも唱題をしてみて本当に良かったと思います。

(もちろん、酸欠の酷い時はできませんから、無理はしないでください。

あまり酷い状態だと、心で唱える・念じる事さえできない日々が続きますから、患者さんの近くにいるご家族やご友人は、どうか近くでお題目を唱えてあげてください。

患者さんはお題目を聞く事で、痛みや酸欠で固まった筋肉が解れて、不調が多少なりとも緩和されます。これにより、お題目が聞こえている間は弱くとも安定した呼吸を得て休めます。)


これらは管理人の経験ですが、何か困っていることがある時は、現実の対策を取るとともに、信心では「まだやっていない事」をするように心掛けてください。

三唱、お給仕、勤行、唱題、御開扉、折伏。この中で、取り組みやすいところから「まだやっていない事」をするように(続けるように)心がけてください。

まだやっていない事の他にも、例えば「毎日、同じ時間に勤行をする」という事でも、続ければ(毎日、異なる時間で勤行をするよりも)大きな功徳があります。

長く続けられるよう、水の信心を意識しながら1つずつ取り組んでいって下さい。かならず道は開けます。



病気と功徳の関係

管理人の経験と、添書登山で出会った信徒さんの経験



管理人の人生は、母親以上に病気続きで踏んだり蹴ったりに見えますが、病気が少なかった子供の頃よりも、今の方が不思議と体力はあります。

また、見た目にも今の方が健康な人と間違われる事が多いです。(自分から難病患者だと言わなければ、相手には全くわからない。その分だけ、病気だと伝えても、理解されないという苦労もあるのが玉にキズw )

日常生活に難しい部分・配慮や工夫が必要な部分は多くある状況なのですが、大変ながらも結果的に、難病の重複する体で上手に動く(用を成す)だけの智慧と気力、良い援助者との御縁を御本尊様から頂いているのだと思います。

病院で馴染みの看護師さんでさえ、意識不明の急患で運ばれた私を見て「ベッドのネームプレートを見るまで、誰だかわからなかった。患者さんの状態(良い時・悪い時の差)は見慣れているのに、管理人さんの事はわからなかったのよ」と言うくらいなので、

目を開けている時の私は御本尊様の功徳により、気力を得て動いている状態だと言えそうです。


このような状態は、添書登山で出会った重い慢性疾患を抱える他の信徒さんからも聞く事があるので、日蓮正宗の御本尊様の功徳である事は確かだと思います。

自分の事は自分では見えないために自信がなかったのですが、

難病や慢性疾患を抱える他の信徒さんの様子を見て「凄いなぁ。キラキラして気力があるように見える。(体調不良で)座って休んでいる状態なのに、活き活きと見えて時間が止まっていない雰囲気というか…。私もあんな風になれるように頑張ろうと思う」と話していると、健康な信徒さんから「いえいえ、あなたも既にそうなっていますよ」と笑われたり、驚かれたりします。

また、難病患者の信徒同士で「この人、どこが病気なんだろう」とお互いに思っていることがわかったりして、なかなか楽しい添書登山となる事も何度かありました。


管理人の場合、22歳から25歳まで1人で毎月の添書登山に行き、その後は母と2人で毎月の添書登山に行っていますが、母と体調やスケジュールが合わない時や、私の体調がある程度 動けるときには1人で行っています。

1人の添書登山では、バスの中で乗り合わせた信徒さんや、同じ宿坊に泊まる信徒さん、食堂で居合わせた信徒さんなどと話す機会がありますので、思いがけない良い出会いや、良いお話を聞けることがあります。

御開扉の功徳はもちろんですが、他の信徒さんの様子から色々な信心と功徳を知ることができますので、添書登山はお勧めです。

※ 新型コロナウイルスが落ち着いたら

ぜひ御開扉へ参詣してみてください。



前後七代を救う功徳 その1

~ ある家族の様子 客殿の落慶法要にて ~

今から20年以上前に、大石寺の客殿で落慶法要が行われました。

管理人も母・姉と参加したのですが、この時に ショックと共に大変勉強になる良い事がありました。

落慶法要では、勤行とお題目の最中、特別にお坊さんたちが信徒さんの座る間をゆっくり歩きながら、花弁に見立てた絵札を撒きました。(行道散華)

この花弁形の絵札は信徒が持ち帰って良いものなので、信徒はそれぞれ自分の膝元に落ちた札を拾います。(みんな持ち帰りたいので、信徒は「来るかな~。いつ近くに落ちてくるかな~。」と、ワクワクしながらお題目を唱えています。)

そんな中で。管理人にも花弁の絵札がやってきました。ヾ(*´∀`*)ノ 撒かれた絵札が落ちた場所は、管理人の正面。正座をしている膝と畳の隙間にシュッと滑り込むように落ちてきました。鳳凰の描かれた絵札です。

管理人は喜ぶと同時に安心しました。「この近距離で膝に触れている。確実に私の札だ(頂いても、近くに座る人に失礼のない位置だ。)」

そして膝に挟まった札を抜こうと(拾おうと)手を前に出そうとした瞬間…

バシッ!!!

大きな音と共に視界が遮られ、次の瞬間、拾おうとした膝元に絵札がありません。 何事!? と直前に視界を遮った方向を見ると…

何と、管理人の左隣に座っていた高齢の男性が、プロのカルタ取りさながらに  私の絵札を弾き取っていたのです。そして、突然の事にポカンと男性を見た私を他所に、男性は眼前の御本尊様しか見えていないかのように、一心不乱にお題目を唱えています。

イラッとした私と母は「この人、何なの!?」という眼差しを向けかけた瞬間、 男性の左に座っていた感じの良い女性が通路に顔を出し「本当に申し訳ありません」という雰囲気で、私たちに深く頭を下げたのです。

高齢の男性が私の絵札を取ったのも、その隣の女性が頭を下げたのも、どちらも「間髪入れず」という速さでした。

あまりに突然の事でどう受け止めたら良いか困惑しましたが、女性の礼儀と思いやりある謝罪の会釈は本当に心がこもっていたので、一瞬のうちに地獄と天国を見たような気分になりました。

高校生だった管理人にとって大変ショックな事でしたが、女性の謝罪は確実に私たちの心を癒して納得させてくれました。「残念だけど、まぁ…いっか…。ウン。(ノд-。)クスン。しょうがないよね。そんな事もあるよね。」と…。

法要の後の様子から、高齢の男性と若い女性(20歳前後に見える。)が家族である事が伺えました。男性は70代くらいに見えたので、祖父と孫なのか、父と娘なのかわかりませんが、2人の人間性(境界)と相の差は とても家族に見えない程でした。

それでも、勤行とお題目を唱え慣れている様子から、男性が長年の信徒である事はわかりましたから、これが功徳なのだと思えます。

【この父親(祖父)から、この娘(孫)が生まれて来られる訳がない。顔の相も感覚(マナー・思いやり)も、真逆なほど離れていて、全く似ていないのにどういう訳か?】

というのが管理人と家族の素直な感想です。

男性本人は、年を取っても修羅や餓鬼のような感覚を強く持ち合わせているが、 日蓮正宗の信心に励んでいれば、その子孫(子供・または孫)は、ここまで綺麗な知性と礼節のある人間になれるのか、と。

今思い出しても見習いたいほど素敵な女性で、大変勉強になる出来事でした。  管理人はこの時に、絵札よりも大きな「心のお土産」を頂いたのだと思います。

そして法要の後に、信徒全員が記念品として全種類の絵札を頂くことができました。大石寺は、最初から参詣者へ行き渡るように別途用意していた模様です。  お陰様で管理人は、ホッとして楽しく帰路につくことができました。 (*´▽`*)

女性と大石寺と、何よりも御本尊様に感謝でした。



今、思う事。

管理人は、お寺の中で少々問題のある信徒さんや、立場のある人(役員さん、住職さん)による問題発言を聞いた時に、この一件を思い出す事があります。

明らかに間違ったことをしてもなお、日蓮正宗で信心を続けていけば、功徳を得られるという事です。

確かに、本人の悪い部分が治らないのは非常に困ったもので、根本的な解決はいつ果たされるのかという疑問は残ります。

(その日まで、不当に迷惑を被る人々が増え続けるし、本人は新たに罪を作り続ける訳ですから。それもまた、互いの因縁の解消のためになると言われればナンですが、悪いところを改めなくて良いという話にはなりません

特に。お寺において、立場ある人の問題発言を放置して良いという事ではありません。立場ある人の反省と、大石寺の指導方法の改善が絶対に必要です。)

ですがただ1つ、確実に言える事は

やはり日蓮正宗の御本尊様への勤行・唱題(折伏)には、現世において最大のチートであり、トランプのジョーカーのような大きな功徳があるという事です。

信心に疲れてしまったとしても、完全にやめてしまう事は非常に勿体ない。大きな功徳と価値のある、本当にありがたい御本尊様なのです。



前後七代を救う功徳 その2

~ 先祖供養による先祖の様子と変化 ~

日蓮正宗では、常盆・常彼岸として日々の勤行で先祖を追善供養(回向)をします。

また、お寺でのお盆・お彼岸・祥月命日や御一日に任意でお塔婆を建てて、住職さんとともに先祖の追善供養をします。

管理人の家では、日々の勤行による回向の他に、お盆・お彼岸・祥月命日にお塔婆を建てているのですが、ある日、管理人の母が2つの不思議な夢を見ました。


宗派による様子の違い


10年以上前、管理人の母は曾祖父母の夢を見たのですが(母にとっては祖父母)

非常に立派な着物(綸子の着物)を着た曾祖母が、病院のベッドに寝た状態の曽祖父を見舞うような夢だったそうです。(当時、二人は他界していました。亡くなって1年~3年の間に母が見た夢です。)

生前の2人は、結婚して20年ほど経った50代で離婚します。その後、曽祖父は再婚。曾祖母は独身のまま、子供世帯と共に暮らしてそれぞれ90歳ごろに最期を迎えます。お葬式は、曽祖父は曹洞宗。曾祖母は日蓮宗の一派でした。

※曽祖父母には4人の子供がいました。

管理人の祖母は長女(長子)で、曾祖母が離婚後に共に暮らしたのは

住まい(生活圏)の最も近かった三女の家でした。三女は日蓮宗の一派でした。


日蓮正宗で追善供養を行っているのは管理人の祖母1人だけですが夢とはいえ、死後の様子に違いが見られた事が興味深く、母の記憶に残っているそうです。


お題目と死後の様子の変化


管理人の母が見たもう1つの夢は、叔父さんの夢です。(管理人には大叔父さん)

去年の事なのですが、これは本当に夢と言えるのかどうか…。よくわからない状態で母が見た光景なのですが、とても不思議な(少し怖い)話です。


ある朝、母は起きたものの、ウトウトと二度寝をしかけていました。ちょうどその時、同じく起きた管理人が、声をかけに母の部屋に入ります。

管理人「おはよう~」 母「おはよう。あと少し… (ウトウト)」

管理人「うん。それじゃ、私も少しだけ… (ウトウト)」

管理人は座ったまま、母のベッドに頭をつけて5分くらいのつもりでウトウトし始めました。

それから数分後。5分経ったかどうかという時に、急に母が「( ゚д゚)ハッ!」と驚くような感じで目を開けます。そして「いつ来た? 今どこに… ここにいた?」と聞くので、「ずっとここにいたよ」と答えると「どれくらい経った?」と母。

どうしたのかと聞くと、不思議な夢を見たと言います。それがこちら…


母は夢の中で(夢とは思わなかったそうですが)、トイレに行こうとベッドから起き上がり、廊下へのふすまを開けました。

すると、そこには病院のようなベッドがあり、男性が寝ていたそうです。トイレに行こうとしていた母は、家とは違う光景に驚いていましたが、男性がそのうちにベッドから起き上がり、母の方を見たそうです。

その顔は20年ほど前に亡くなった叔父さんそっくりで、表情は妙に暗く、母を睨んでいたそうです。

母と生前の叔父さんの関係は悪いものではなく、会う事も少なかったので、母は叔父さんから暗い顔で睨まれる覚えはありません。ですが、叔父さんが暗い目で母を見つめたまま、ゆっくりとベッドから立ち上がりかけたので、母はお題目を唱え始めました。

すると、すぐに母の隣に管理人が顕れて、一緒にお題目を唱え始めたそうです。 しばらく経過して、父のお題目も後ろの方から小さく聞こえ始めます。

目の前の叔父さんの様子は徐々に変わっていき、入院患者のような服からスーツ姿へ。そして母が一瞬目を反らした隙に、紋付き袴の立派な姿になっていたそうです。

紋付き袴姿になった叔父さんは、どこか皮肉な暗いニュアンスで「…甘いな」と、母に告げて姿を消しました。

母は叔父さんの姿が消えて安心したものの、最後の表情と一言に、スッキリしない後味の悪さを覚えたそうです。


そうして夢から覚めて、母のベッドに頭を付けていた私に「ここにいた? どれくらい経った?」と聞いた次第でした。これは本当に5分経つか、経たないかくらいの時間でした。

また、母は私に夢の話をした後に「…だからさ、今ちょっと トイレに行きたいんだけど、この(廊下への)ふすまを開けるのが怖くてさ。ハハハ…💧 」と言いながら、ドキドキして襖を開けました。そこはいつもの廊下で、二人でホッとしました。^^;

母も私も、夢があまりに短く、リアルで、内容的にも本当にタダの夢と言えるのかどうか…という不安を覚えたので、その日はお寺に行き、叔父さんの名前でお塔婆を立てました。

(母が夢を見ている間、管理人はボーっとしていましたが、寝てはいなかったので、同じ夢は見ていません。)

この日はお盆やお彼岸ではありませんでしたが、祥月命日でもなかったと思います。(ただ、命日ではなくても、同じ月だったような気もします。また、大叔父さんのお葬式は曹洞宗だったそうです。)


その後、母は叔父さん(管理人からは大叔父さん)の夢は見ていないそうですが、母がお題目を唱える事で、良い姿に変わっていった叔父さんの様子から、大聖人が先祖の追善供養について書いた御書にある「裸者の衣を得たるが如し」という一文が思い出されます。

曾祖母と曽祖父の様子の違いから考えても、追善供養によって衣服が変わるだけでなく、(あの世での魂の)生活状況や精神状態も変わるという事なのでしょう。

毎年お盆で聞くお寺の講話に、木蓮尊者が餓鬼道に堕ちた母親を救う話がありますが、死後の魂が置かれる状況を改善するのは、やはり日蓮正宗の御本尊様とお題目による先祖供養なのだと感じられました。

そしてお題目を常に忘れず、唱えていく事が大切だと思います。


※ 母の夢の中で、父のお題目が小さくとも聞こえてきたのは

母に「勤行しなさい」と言われながら、

文句を言いつつ信心をしているからだと思います。

高齢の信徒さんが「どんな口でも(唱えれば功徳を頂ける)」と言っていたことを思い出します。実際、管理人の病状が著しく悪い時に、父の勤行が聞こえると  母の勤行を聞くのと同じように、体の痛みが緩和します。




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2020年2月12日 サイト工事開始
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