(続き)サイト管理人の人生と信心直近10年 その3

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少し特殊な持病=難病を抱えた状態での、これまでの人生。

学校、仕事、旅行、病院、信心(寺院参詣を含む)全てにおいて、

特殊な疾患を抱える者がどんな状態で日々を過ごしているかを記載します。

外見に現れやすい身体障害とは異なり、外部から見えない内部疾患である難病を抱えて生きる日々には、どのような困難があるか。

これは信心(お寺)を含めた、社会への問題提起でもあります。









【2020年1月:オアシス035序章】


帰宅(後日談)

紆余曲折の末、ようやく家に帰った。父は仕事で家におらず、私は落ち着いて母と話ができた。母は私の無事の帰宅を喜んでくれた。そして、叔父さんの状態については酒乱の可能性が高いと言い、祖父母の(叔父さんの暴言を受けての)変な態度については、母自身の学生時代の家庭での苦労を、そのまま私が受けてしまったのだと言って落ち込んだ。

詳細は割愛するが、これは確かだろう。母ほどではないが、その余波を受けたのは確かだ。そして、この問題の原因は母ではない事も確かだ。親族間の遺伝による特徴を、祖父母が変に気にしすぎている事が問題だ。プライベートなので割愛するが、母に何の問題もない事は確実だ。

後日、家族で外食をした際には、叔父さんと祖父母の態度に姉は怒り、父は叔父さんの変貌にショックを受け、母は今後の祖父母との関係に一定の見切りをつける決意をしたようだった。

(叔父さんが高校生の頃、大学院生だった父は叔父さんに勉強を教えてあげていた時期があった。なので、叔父さんの当時とのあまりの変貌ぶりにショックを受けた。)


【折伏の成就(不意に訪れた縁)】


帰宅して数日後、私の眼球使用困難症に優しい雨の日に、母と2人で外食に出かけた。ファミリーレストランでお茶をしながら、帰宅途中の話をした。

年末年始は短期間に色々なことが起きたので、脳機能の低下している私は記憶が前にしか進まない状態で(順番に振り返っては、思い出せない状態で)母にゆっくり話していた。

私が帰宅途中に泊まった場所は両親が若いころに住んでいた地域だったそうで、当時の話や地域の話、住んでいた社宅の話などを聞いていた。
すると、急に隣のテーブルから声がかかった。「やだぁ、何それ。怖~い」と。
驚いて隣を見ると、ついさっきまでスマホで誰かと話していた1人客の女性が、私たちに向かって話していた。どうやら私と母の話に反応したようだ。

その時は、両親が住んでいた社宅に幽霊らしいものが出た事がある、という話を母から聞いていたところだった。それで隣の女性が「怖~い」と・・・。

驚きつつも、母と私はその女性とも話し始めた。私は低下した脳機能で急な変化について行けず、言葉を選べない状態なので、主に母と女性で話していた。
その中で、何とか私は会話の内容だけは把握した。どうも女性は恋愛問題で悩んでいるらしく、恋人が家に来ると、必ずラップ音のような妙な家鳴りがするという。聞いていると、どうもその恋人(男性)はあまり良くない印象だ。女性は気に入っているが、男性の方には誠意がないように聞こえる。女性の体が目当てか、金銭が目当てか...そんな印象だ。家鳴りはともかく、まずその男性とは別れるのが最良に思える。

結局、その女性は恋愛問題で不安定になり、あちこちの友人へ電話をかけまくっていた。しかし、どの友人も女性の不安感による多弁について行けず、短時間で電話を切られてしまう。そんな状況で、私と母の話に入ってきたと...。

私と母は同じことを考えていた。これは、折伏案件だと。母が女性に所属寺院を案内しているところで、私はお寺の電話番号を書ける紙とボールペンを用意した。状況の急変と、会話の即時応答が難しい私にできる精一杯の応援だ。

意外なことに、その女性はお寺の紹介を受け入れた。普通は宗教の話が出るとそこで話は終わるのだが、この女性は違った。そして、友人たちから他の宗教の誘いも複数受けた事があるとの事だった。

結果はどうなるかわからないが、私と母はお寺を案内した後、ファミリーレストランを出た。(本当はもう少しゆっくり、お茶をしながら親子で話したかったが、そんな状況ではなくなった。)

駐車場の車に戻り、母と同時に軽い溜息。 「折伏ができてよかった。でも不思議だね。何だったんだろうね・・・。とりあえず、お寺に電話を入れようか。」既に夜。母と話しながら、お寺が閉まる時間だったので、参詣ではなく電話を入れることにした。
この時、母も私もお寺の奥さんも「一応、知っておく」というくらいで、本当に女性が電話をかけてくるとは思っていなかった。しかし、数日後。女性はお寺に電話したのだった。女性は電話で奥さんと話しながら、その場で参詣の日時を決めたらしい。
紹介者として母も同席したかったが、どうしても休めない仕事(交代できない仕事)があった。私も体調不良で家を出られなかったので、当日は女性と住職さん、奥さんの3人で話す事になった。

その結果、めでたく女性は御授戒を受けて帰ったとの事。

【 🌴オアシス035🌴 誕生前夜 (=_=)💤


私と母は後日に参詣し、奥さんにお礼を伝えた。(住職さんはいつも通り受付にはいない。)思いがけない折伏の成就に喜びながら縁の不思議を感じていると、奥さんが紹介者の名前(書類に書く名前)を私と母のどちらにするか尋ねた。私は「母の名前でお願いします。私ではとても無理でしたから・・・」と言った。

年末年始のトラブルに脳機能が疲労し、事情をよく知る母との会話さえ難易度が高かった私では、精神不安によって多弁になっていた女性に丁寧に応答し、お寺を案内する事はできなかったからだ。

この頃の私の脳機能は、年末年始のトラブル前の状態でも場所の認知が難しく、何とか1人で所属寺院に出かけられても、到着後に(添書の申し込みなどで)自分の名前を書く事ができなくて、奥さんに自分の名前を書いてもらう事が度々ある状態だった。
家の中など、変化の少ない環境で(&かなりの高血糖を維持していれば)自分の名前は普通に書けるし、スムーズに文章を書く事もできるが、歩行などで少しずつでも場所が変わると認知機能がついていかず、他の能力(言語能力など)がすぐに低下する状態だった。

少ない脳機能をどう割り振るか。家族や主治医との会話はもちろん、脳に負荷がかかると 日々の血糖測定やインスリンポンプの詰め替え(手技の手順)、血糖と食事内容・女性ホルモン等を加味したインスリン量の調整にも支障が出る状態だ。(一度に複数を考慮して決める必要があるため、血糖管理のための脳機能を常に確保しておく必要がある。)

2011年当時に比べればマシになったが、それは痛みが多少減った(激痛が和らいできた)というだけで、脳機能的にはあまり大差がない。良くなったように見えるのは、低下した脳機能での生活方法・工夫の仕方が少しずつ分かってきたからだ。

そんな健康上の事情により、私は突然始まった予想外の女性との会話(即時応答)ができなかったので、折伏の書類に書く紹介者の名前は母だと言った。住職の奥さんは、その時は何事もなく応じてくれた。

しかし、後日に私が1人でお寺に参詣すると、奥さんは言った。「書類には、やっぱりサイト管理人さんの名前を書けばよかった」と。

奥さんがそこまで言う理由はわからないが、折伏をしたのは母である。私だけではできなかったのは確実だ。前回と同じ内容だったが「私の今の脳機能では、とても無理でしたので...」と言った。すると奥さんは、妙に必死な様子で言葉を続け「(折伏に)命を懸けて!」と言った。


🌴 🌴 🌴


瞬間、私の心が冷めた。この人は、何を言っている? 今日はやけにしつこい。何なんだ?

思い違いをしている。私の人生は、その責任とともに私のもの。私の命の使い方は、私が決める。そこまでお寺に預けた覚えはない。 

私の命は、私自身の意志によって御本尊様にゆだねるものであって、他人の意志によって勝手に使い道を決められるものではない!

もちろん、別に住職さんや住職の奥さんがそう言ったからといって、実際にどうするかは自分次第だ。しかし、病気や日々の病状について詳しく知らない人間に、現実的な責任を取る事もない人間に、そこまで言及される覚えはない!

何より、私はとっくの昔に命を懸けているのだ。


🌴 🌴 🌴


後日、私は母とともに参詣した。そして奥さんに、数年前の私と住職さんとの会話内容を伝えて、未だに家族や主治医との会話にも難儀している状況で、女性の折伏に無理をすれば、勤行はどころか生命維持に不可欠な在宅医療の処置さえできなくなる事などを話した。
そういう状況だからこそ、数年前に住職さんに写経の可否を尋ねた。ダメならダメで、重度の酸欠が続く中でどう信心をしたらいいのかアドバイスを求めていたのに、その回答は未だにもらえていないままだと。
折伏に命を掛けろと言うのであれば、せめて数年前の質問に回答をもらってからにしてほしいと伝えた。

奥さんは少しオロオロとしていたが、住職さんに伝えると言った。


【住職さんの問題発言】


数日後。私は母と夕の勤行に参詣した。(住職さんのいる日、他の信徒さんや役員さんの相談がない日を求めて、何度か参詣した。)

奥さんにはある程度話したが、やはり住職さんに直接 私の詳しい病気と状態を話して、住職さんの真意(奥さんを通じて「命を掛けろ」と言った意味)を聞き、改めてアドバイスをもらおうと思ったからだ。 私は勤行の後に、住職さんに話し合いの日を設ける相談をしようとした。

勤行の後、住職さんが振り返り いつも通りに「こんばんは」と挨拶をする。(母は仕事の電話が入り、勤行の途中で車に戻った。)

その日は珍しく他の参詣者はいなかったので、私は住職さんに話しかけた。

私  「先日の件で、もう少し詳しくお話を伺いたいのです。そのために予約を・・」

住職 「その必要はありません。 (キッパリ)」

私 「今の病状で、あの場での折伏は私には無理でした。ですから、病状について詳しい説明を・・・」

住職 「必要ありません」

合計3回ほど試みたものの、住職さんは「(話し合う)必要はない」の一点張り。私は今後の事も考えて、多少なりとも住職さんに病状について理解を得ようと、家族との会話さえ難しい日常について例を挙げて話し始めた。すると住職さんは、火に油を注ぐことを言い始めた。

「折伏は慈悲行ですからね」「ハハハ、それじゃあ御仏智は頂けない」「他人は変わらない(私はそんな話はしていないが、遮ってこういう事を言う。)」「(逆縁になろうと、失敗しようと)何度でもやれば良いんです」「命を粗末にしろとは言ってないでしょ!」「(折伏に命を掛けろと)これからも、何度だって言いますよ!」「(病状が悪い時、酸欠時の勤行では)念じる事くらいはできるでしょ」

そもそも住職さんはこれまで複数の逆縁を作ってきた私を、なぜか「自分から折伏をしない人間だ」と思っているようだった。住職さんに直接、折伏の相談をしたこともあるにもかかわらず。詳細は割愛しているが、常日頃から信徒に対して【見ざる・聞かざる・言いっぱなし】の住職さんは、ここでもそれを貫いた。私の話を全て話し始めから遮って応答するるので、話が100%かみ合っていない事にも気付いていない。

私の非常に悪い病状、主治医に話せば勤行など「今すぐやめろ」と言われて当然の無理をして努力している状況である事を、理解しない。(私が話し出すと、すぐに関係のない話をして自己防衛に走る。私に話させない。)

母が女性を折伏したとき、もし傍にいたのが父であれば 必ず妨害されていた事。これまでも何度も父に妨害されてきた経験がある中で、女性の折伏が叶ったのは、傍にいたのが私だったからだ。私がその時、できる限りの協力をしていた事さえ住職さんは話を遮って「失敗しても、何度でもやれば良いんです」と、的外れな応答を繰り返す。

的外れな応答で埒が明かず、本題に入れない。そこで私は「命を掛けろ」という言葉が誰のものかを確認する事にした。

「命を掛けろとまで言うのは、住職さん自身によって信徒に伝えるべきことで、奥さんに言わせることではな・・・」私がそう言うと、住職さんは「折伏は慈悲行ですからね。これからも、何度でも言いますよ! 命を粗末にしろとは言ってないでしょ!」と逆切れた。

やはり奥さんの「命を掛けて!」という言葉は、住職さんの指示によるものだったのだろう。

それにしても。この住職さんは、私がそんな解釈で問い合わせをしていると思っているのか。随分、安直な発想だ。違うんだよ。自分の命に対する意思と責任を、勝手にお寺が奪おうとしたことに、私は強く問題を感じている。


(もし「命を粗末に云々…」という住職さんの認識と同じレベルで話すとしたら。現実的な問題として、病状が悪化した場合、ぽっくり死ねないからこそ、不用意に無理を重ねることはできないという事だ。 もし私が住職さんの言うように命を掛けて折伏をするなら、生きたまま今より酷い身体状況になる事を見越して、先に即死の御祈念をお願いする事になる。それほどに私の病状は悪く、複雑な状況なのだ。

私は自分の命がなくなること自体に、特に問題を感じていない。私は命を惜しめるだけの人生を歩んでいない。いつ死んでも悔いはないほど、その時々でできる精一杯の事をして生きてきた。何より、病気が重い分だけ人間関係も少なく、浅い。自分の家族を持つ事もできず、仕事もままならない以上、生きて果たすべき責任もない。 血糖の管理や、低血糖脳症による強い痛みによって継続して寝る事が難しい状態を、もう30年続けている。今生の自分の事だけを考えるなら、寿命がいつ来ても万々歳の状態だ。

住職さんは目出度い神経をしている。たとえ健康上の問題を抱えていなくても、死ぬ事より生きる事の方が大変なのは常識だ。そして、もし本当に折伏が大事なら、死ぬより生きて折伏に貢献するのが筋ではないか。死んでできる事よりも、生きてできる事の方が圧倒的に多いのだから。住職さんはそれがわからないほど、功徳によって良い状態で安定した人生を生きているのだろう。)


(病気のある私にとっては)明るい照明のもとで住職さんと立ったまま、話し続けてどれくらい経っただろう。痛みはもちろん、脳機能も身体機能もだいぶ辛いが、目上の人が立ったままなのに、私が座る事はできない。大丈夫、まだ立てる。何がどうなろうと話の(ひとまずの)決着くらいはつける! 話し合いの必要性について理解を促し、アポイントを取り付けるのだ。合わなくなりつつある目の焦点を必死に保ち、足に力を入れる。気合を入れ直したころで、背後で自動ドアの開く音がした。

先に車に戻っていた母が、様子を見に来たのだ。出入り口の受付に居た奥さんと、母が明るく挨拶を交わす声が聞こえた。

すると、住職さんが急に後ろを向き「念じるくらいはできるでしょ」と捨て台詞を吐いて、あっという間に本堂の裏へ続くドアに入ってしまった。


🌴 🌴 🌴


だからさ・・・それができる状態なら、数年前に相談なんかしてないよ、住職。あなたはどれだけお目出度いんだ。だから言ってるだろう。日を設けて話し合おうと。人の話を聞いてから物を言えと!

宗祖の言葉通り(正しい御本尊様を正しく保つために)副業禁止というルールの元、世間を直接知る機会が少ない身でありながら、どこまでも「見ざる・聞かざる・言いっぱなし」を貫く住職さんの言葉は、どれも的外れな上に安直すぎて話にならない。一体、どこの時代劇かと思う言葉ばかりだ。


住職の姿が消えて、私は現状を確認する。

本堂の裏に逃げた住職、心持ち手元が震えているように見える奥さん、仲裁する素振りで様子を見に来た母親。

・・・・  (・д・)チッ しょうがないw 今日は退散するか。

私も身体的には限界だ。酸欠と言語能力の低下は厳しく、目の焦点も怪しくなっている。怒りとストレス拮抗ホルモンによって血糖値と血圧が上がり、認知機能を何とか保っている状態だ。しかし、その後の状態を思うと、体に(高血糖などで)これ以上の負荷を掛けるのは良くない。


帰り際、奥さんは私たちに何度も頭を下げる。「どうか、これからも機会と縁があれば、いつでも新入信徒を紹介してください(折伏対象者を連れてきてほしい)」と。

実は住職さんは、この月の御講で(今月の折伏を成就した人として)わざわざ母の名前を出した後で言ったのだ。「どうか友人、身内など日頃から縁のある人を折伏してください。そして御開扉に連れて行ってあげて下さい」と。

今回、母が折伏した女性は身近な人ではない。偶然、ファミレスで先方から声をかけてきたのが縁だ。しかもその女性は、少し訳ありのようで自分の素性を正確には明かさなかった。(割愛するが、明かせない理由はある程度、推測できる。)このため、その後に2度・3度と会う事はできない状態だ。御開扉に連れて行けるほどの身近な関係を持つ事は難しい。

そのような難しい状況に身を置く人だからこそ、より日蓮正宗との縁・金剛法器戒の御授戒は必要性が高かったわけだが... それも住職は気に入らなかったようなのだ。

しかし、奥さんは私たちに頭を下げて「どうかこれからも、日蓮正宗に興味を持った方を誰でも連れてきて下さい」と言った。奥さんは住職さんからの伝言で、私に対して非常に不適切かつ不用意な発言でモラルハザードを引き起こしたわけだが、一応...住職さんよりは「相手にどう聞こえるか、信徒に、世間にどう聞こえるか」を多少はわかっているようだった。

後日に何度か聞いた奥さんの話を思うと、奥さん自身にも確実に問題はある。(「信徒さんはみんな、誤解をする。(🐧はい?w 複数回繰り返している事なら、確実に住職の指導方法に問題があるってことだよ?)」「今回の件で、サイト管理人さんにはとても御利益があるわ(🐧どういう理屈だか知らないが、少なくとも加害側が言う事ではない。)」)

それでも・・日頃から住職さんのフォローに走り回っている事がわかる。奥さんを見ていると、一体、お寺の責任者は誰なのかという疑問が湧いてくるほどだ。

前任の住職さんも高齢で奥さんもいたが、受付にはいつも執事さん(修行中のお坊さん)がいた。どの執事さんも信徒の相談には、自分の立場を超えない範囲で責任をもって答え、住職に伝える事を徹底していた。それを今の住職さんは、(執事さんを雇わず)全て奥さんに任せているのだった。

今回の問題も、住職さん自身が責任をも持って向き合うべき部分を全て、お坊さんとしての教育を受けていない奥さんに任せて、住職さん自身は本堂の裏に隠れたままという状況だ。

たとえ普段は奥さんに任せていても、トラブルや話の誤解・行き違いが起きた時には 責任者として直接対処する・落ち着いて話し合うという事が、住職という立場にある最低限の義務だと私は思う。


(ジャンルを問わず、立場も問わず。人伝の話で間違いが起た時は

必ず本人同士で直接話し合うというのが古今東西の常識だ。

信徒を相手にそれもわからないというのは、さすがに問題があると思うょ。)


車に戻ると、住職さんと話していたのは十数分の事だとわかった。夕の勤行からいたので長く思えたが、確かに話した内容は少なかった。住職さんが人の話を聞かずに遮ったり、話を他のテーマ(父の問題など)にすり替えたりするので、私は軌道修正に入る事ばかりだったからだ。

思った以上に少ない時間の経過にあらためて思った。どこまで臆病なんだよ、住職💧 奥さんばかりに任せて、どこまで無責任なんだよ💧

そこには総本山の大石寺の不備さえ見える。出家得度の後、御書の中だけで全てを完結させることを徹底するシステムとヒエラルキーを重んじる一方で、信徒や世俗の常識、モラル、トラブルシューティングの方法を勉強させない。(おそらく修行中の末寺への出向で、先輩僧侶からぶっつけ本番の指導をメインに受ける状態。結局、本人たちの縁と経験値まかせなのだ。)そんな中で住職となった僧侶が信徒とのトラブルに直面しても、よくよくでないと総本山は助言もせず、世間知らずの住職たちを孤立させている可能性がある、という状況だ。

(総本山に助言を求めたところでロクな回答が出ない事を知っているから、あるいは独立性が徹底されているから、住職達は敢えて助言を求めていない可能性もある。)

今回の問題は住職自身に大きな問題があるのは確かだが、原因としては 修行時代からの大石寺の悪習・得度者だけに通じる理屈が、無意識に世俗の信徒にも通じると思っているから(僧侶に勉強する機会がなく、そういうやり方しか知らないから)、今回のような悪い対応になる部分もありそうだ。

(つまり、僧侶自身も修行時代は同じだけのモラルハザードを受けながら、御書とヒエラルキーに押さえつけられて生きているという事。宗教として、それが正しい御本尊様を正しく保つために必要なことならば、十分な教学の知識がない信徒の私にそれをジャッジする事はできない。

しかし、正しい御本尊様を正しく保ち、正しく信徒を導いて成仏させる、祈りを届ける任務に就く僧侶に対する指導方法と、僧侶とは異なる役目で世俗を生きる信徒への指導方法は、同じやり方で通用しない事は明らかだ。退転者の話や、信徒同士の悩み相談でもそれは知ることができる。 

副業禁止のために、僧侶が世俗を勉強する機会が得られないという、宗教上の外せないルール。そして、信徒がお坊さんと同じだけの教学を積む教育機関がないという、今の日蓮正宗の現状。これでは溝は埋まらない。

広宣流布のためにも、内部監査機構やオンブズマンくらいある方が良いと思う。僧侶の常識、信徒の非常識。信徒の常識、僧侶の非常識。これをフォローする(または双方に通訳する)機関が必要だ。 

総本山の中で、お坊さん同士の中で、御書を理由に過ぎた指導や的外れな指導を強いる部分が信徒への指導として引き継がれ、それが時代ごとの世間のルールに大きく合わない場合に、広宣流布を阻むトラブルとして表出するのだから。 )

仲裁の素振りで本堂に来た母親も、内心は私以上に憤りを感じている。私へのモラルハザードはもちろん、成就した折伏についてまで御講で2度、3度と「日頃から縁のある人を」としつこく聞いたからだ。一緒に御講に来ていた姉も、この話には強く問題を感じている。

猊下の代り映えしないスローガンにも、色々思うところはある。住職さんは猊下の指示の下に信徒へ指導をするのだから。

ああいう勢いでスローガンを立て続けるなら、毎月発行される大日蓮に、猊下や住職さん達の謗法破折の記録(各邪宗の住職への問答の申し込み、その結果などの記録)を載せてほしいと思う。たとえ先方から応答がなかったとしても、それはそれで記載してほしい。その方が信徒は何倍もやる気が出るからだ。(これまでの指導で、大石寺はその下地を十分に作ってきているという事。)

日蓮大聖人は世俗の人々への説法から、邪宗の僧侶への問答、国家諌暁のすべてを行った。そして国に命を狙われ、追われる身となった。

信徒に命を掛けろと言ったまま、詳しい説明もなく隠れてしまうような住職を作り、それを総本山が野放しにしている以上は、邪宗の僧侶への問答くらい試みて公表してほしいものだ。


【🌴オアシス035🌴 誕生】


帰宅後、私は御本尊様に数分間の唱題をし、翌日以降も勤行を続けた。母や姉からは「どうしたらそんな風に、淡々と勤行を続けられるのか」と聞かれた。

私の勤行に対する感覚はいつも通りだ。それは重い低血糖による脳機能の後遺症を起こす前から(15年ほど前から)私の体調を保つ上で不可欠であり、御本尊様から頂く確実な功徳にいつも感謝していたからだ。それほどに幼いころから私の体は弱く、勤行と唱題の功徳を体で実感する日々という事だ。
住職の問題発言には強い怒りを感じていたが、医者も、家族も、役所も、住職も何も頼りにならない本当に大変な状況の時、激痛と酸欠でお題目さえ唱えられず、御本尊様の前で手を合わせて座り続けるしかできなかった数年間を経て、今現在がある。

所属寺院の住職でさえ助けようとせず、付き合わなかった私の状態に、日蓮正宗の御本尊様は付き合ってくれた。祈った分だけ、諦めずに祈ろうとし続けた努力の分だけ、確実に功徳を通して応えてくれてきた。

住職さん自身の人間としての対応能力の問題が大きい分だけ、ともに困難を乗り越えてきた自分と御本尊様との距離が離れることはなかった。「(僧侶であっても)人間は人間。御本尊様は御本尊様。」という事だ。
肉体を持って生まれるという事は、住職にも過去世からの業があり、解決するべき問題があるという事だ。僧侶だからといって、人間として完璧なわけではない。

それはこの住職さんが赴任する前から感じていた事だ。お坊さんの問題発言も、大石寺のシステム的な問題も、昔から何度も直面して知っている。

(※ 住職さん・お坊さんがいなくても良いということではない勤行の導師、祈る人、正しく祈り、正しく届けられる人、僧侶として必須の能力は全ての住職に保たれており、それによってお寺の御本尊様は正しく保たれる。大石寺で信徒と同様に御開扉を受け、大石寺と適切に関係を保つ住職さんによって、正しく保たれた末寺の御本尊様に参詣する事で、信徒の自宅の御本尊様も正しく保たれて、功徳を頂けるという事。

残念ながら、僧侶としての能力と人間性は必ずしも比例しない現実がある。そこに信徒は迷うのだ。大石寺にはそれを少しでも是正するための教育システムを取り入れてほしい。この現実を、功徳の実感を得る前の信徒が受け入れることは難しい事を考慮し、宗教として不要な誤解を招かないように努力する必要がある。)

もちろん、信心を続けられる理由は体に感じる功徳の他に、あまりに安直でお目出度い発想に基づく住職さんの言葉から「この日蓮正宗で徳を積めば、ここまで平和な感覚を持つ生活が送れるようになるのだ」という確信を得た部分もあるw 「(ここで退転して)それほどの功徳のある信心を、お坊さんたちに独り占めさせるもんか」という感覚もあったw


🌴 🌴 🌴


住職さんの問題発言の数日後から、胸の中に扇風機のような風を感じる事があった。主に夜間で、それを感じる日もあれば感じない日もあったが、1週間~2週間は続いたと思う。脳も体も過ごしやすい。最初は怒りで血圧や血糖値が上がり、それで楽なのかと思ったが... 続きすぎだ。それが原因なら、高血糖の継続による怠さもあるはずだが、それはない。

( ̄― ̄;) これはもしかして・・・w もしかするよね? 何となくw

そんな中、母が1人で添書登山の申し込みに行った。手続きのために奥さんに会うと、フラついて出てきたらしい。顔は別人のように憔悴し、いつもの奥さんに見えなかったそうだ。

私が1人で参詣したときに奥さんに聞いてみると、私が胸に風を感じていた日時に、住職さんと奥さんは祈っていたそうだ。(おそらくは、私が退転しないように? もしくは体調が改善するように?)

胸に風を感じる時間は夜間が多かったが、たまに深夜に感じることもあったので、奥さんが憔悴していたのはそのせいだろう。心労に加えて、朝早いお寺の仕事を押して、住職さんと一緒に夜遅くまで祈っていたからだ。

私は思った。住職夫婦は健康だが、高齢者だ。両親よりも年上だ。それなのに...なんて無茶をするのかと。馬鹿なのかと! 私が退転するわけも、できるわけもないのに。 そもそも住職さんが話し合いに応じていれば、私の体の状態と信心の状態・どれほど御本尊様を必要としていて、どれほど御報恩の心をもっているか実例とともにわかったはずで、憔悴して祈るほど退転を心配する事にはならなかったのに。

御本尊様を信じて唱えることが大切で、御書を基本に、余計な解釈を入れずに、御書を御書のままに読む事が大切といっても、人間としてやるべき事、できる努力をしなくて良いという事ではないはずなのに。

これではまるで、車が歩行者をひき、運転手は動転して救急車も呼ばずに自宅へ帰り、必死に「あの歩行者が死にませんように(=退転しませんように)」と御本尊様にお題目をあげているような状況だ。その場で車から降りて状況を確認し、救急車を呼べば(=人間としてやるべき事、努力するべき事として、話し合いに応じれば)憔悴するほど心配して無茶な唱題をすることはなかったのになぁ...。

住職夫婦の問題発言と対処能力のなさ、その引き換えと言わんばかりに体に感じる、住職夫婦の唱題による御本尊様の功徳。
人間としてやるべきこと、できる事をやるのが先のはずだが、それでも・・・ 日蓮正宗は宗教として、本当に功徳があるんだよなぁ・・・。

何だかなぁ・・・と思うと同時に、これまでの毎月の添書登山で出会った信徒さんたちの話が思い浮かぶ。

「(色々な難しい背景を抱えているのに)どうしたら、そこまで信心を続けられるのか」という問いかけとともに、様々な事情で信じたいのに信じられない状況に陥った人々の苦悩。それを人間としてできる努力で助ける事ができずに、信徒の信心を停滞させてしまった(あるいは退転を防げなかった)住職さんたちの存在。

宗教・正法としての功徳が確実にありながら、拡大解釈による宗教的な過ちを恐れるあまりに、御書の言葉の中だけで 正しい事を正しい、悪い事を悪いと言い続け、それを時宜に応じて適切に伝える方法を持たない・その努力の必要性を認めない大石寺の指導システム。

これは勿体ない事だ。御本尊様の功徳を知るからこそ、本当に勿体ない事だと思う。何とかしたい。自分にできる事はないだろうか? 僧侶と信徒、双方の理解を繋ぎ、諦めることなく信心を全うするために。

住職さんの問題発言から約2週間後の2月。考えた末に、私はこのサイト「信心の休憩所 オアシス035」の作成を始めた。オアシス035の誕生だ✨

【新型コロナウイルスと、目標の一時停止。】


2月上旬。私たちは祖父母とともに御開扉へ参詣した。私たちが車で大石寺へ向かう途中にある駅から、祖父母を乗せて一緒に登山している。下山の時も、祖父母を駅まで送って帰路につく。

お正月の一件について祖父母から具体的な話はなかったが、その様子から若干、気にしている様子があったと母が言っていた。私は気付かなかったが、普段通りだ。祖父母の家に立ち寄って話す(休憩する)わけではないので、特に困らない。

この頃から、新型コロナウイルスの問題がニュースで報道されるようになる。ダイヤモンドプリンセス号での感染者判明から、まさか今ほどの事態(パンデミック)になるとは思っていなかった。

私は22歳から毎月1回の御開扉を続けていたが、新型コロナウイルスの流行と、私の複数の既往症(ウイルスに感染した場合に、重篤化しやすい要因の1つ)、そして3月に控えた親知らずの抜歯に備えた健康管理の必要性が重なり、2022年現在、これが最後の御開扉となっている。(末寺を通して書面で御祈念をお願いする「つけ登山」には参加している。)

新型コロナウイルスの流行と既往症の関係、そして特効薬の未開発・未普及によって御開扉に行けない事はとても困るが、ほかにも困った問題が生じた。

それは・・・ 目標の一時停止だ。(◎_◎;)

私には、何とかして資金を作り、日本では扱いが少ない紅茶を海外へ仕入れに行く(または、仕入れのルートを勉強する)計画があった。行先はスリランカとカナダ。目当ての茶葉はスリランカで生産されているが、カナダで人気の紅茶で、カナダの業者が多く買っていく品だ。

私は業者向けのイベント(スリランカ大使が主催のブース)で試飲したが、すごく美味しい。ただ、日本の水質にはディンブラが合う上に、今のブームはダージリン。そんな訳で、このカナダで人気の茶葉は日本の業者は殆ど仕入れないそうだ。

そんな訳で、私は何とか資金を作ってスリランカ、またはカナダに行こうと思っていた。船でw

👀 あ。そこ、今・・ 笑いましたね?w 良いですょ?w 笑ってくださいw

何せまだ、新幹線にも乗れないくらい回復が遅い脳機能だ。(速度と血管の圧迫、血流、脳細胞の栄養不足と脳機能の低下、そして痛み・三叉神経等の問題)普通電車でさえ、途中下車してホームで休み休み移動するくらいだ。

なので、飛行機で海外へ行くことは非常に厳しい。まず無理だろうと。そこで私は、船で行くことを考えていた。すっごく、お金かかるけど💦

しかし、千里の道も一歩から。ローマは一日にして成らず。転地療養の頃から、まずは費用と航路(日本からの客船が出ている航路・船)を調べていた。

日本の首都圏から出る船は1つあった。北米大陸へ向かう船だ。スリランカのある東南アジアへの航路は見つからなかった。(世界一周クルーズなどで途中下車するような感じ? それが可能な規約であれば、という...。)

仮にカナダへ行くとして。費用と日数を調べ・・・ 自分の稼ぐ能力を思うと長い道のりになりそうだが、それでも目標だった。 (そして、身近なところでは 近所の郵便局や駅に広告ポスターを置こうと思っていた。この費用は頑張れば何とかなりそうだった。 色々あって、まだできてないけど💦)

そんな訳で、船旅を考えていた私にとって、新型コロナの蔓延はショックだった。これでは・・ 

(特効薬が未開発で)御開扉さえ行けない状態で、客船なんて乗れるわけな~~い!!! ヽ(≧ω≦;)ノ

ダイヤモンドプリンセス号の報道でもわかるように、客船は窓の有無やベランダの有無で料金が大きく変わる。 そして、開閉できる窓やベランダのある高額な船室ほど、船内で感染症が蔓延したとき(船内に缶詰めになった時)には健康リスクが下がる。(精神衛生も良く、運動不足も回避される。)

・・・ ( д|||) どーすんの、コレw (←最安値の船室で移動するつもりだった人w)

最安値の船室でも遠方の船旅なので、飛行機よりかなり高額の旅費がかかる現実。カナダでの滞在費と復路の旅費。全てを計算の上で目標金額を設定していたが、感染症の流行が終わらない限り、目標金額は倍以上に上がるだろう。

実家に戻った事で脳機能が圧迫され、目標達成へのハードルが上がっていたところへ、新型コロナウイルスによって更にハードルが上がったのだった💧

  • 病気によっては、医師の診断書によって貨物船に乗せてもらえる。しかし、私の病気は適用外なので、客船に乗る必要がある。

🌴 カナダの思い出 🌴

20代後半の頃。バセドウが落ち着いた頃に、私はカナダへ旅行に行った。
姉は高校の修学旅行でカナダへ行き、母は仕事で1週間~10日ほどカナダへ行ったことがある。父は仕事の出張でアメリカに行ったことがあった。(同じ北米大陸)

私は自分の健康状態が悪すぎて気付いていなかったが、母はそれを気にしてくれていた。「お前は、行けてない。せっかくバセドウが落ち着いてきたし、一緒に行こうか」とカナダ旅行に連れて行ってくれた。

嬉しかった。行ってみて、更に嬉しくなった。 カナダの気候が体調に合っていたのか、日本にいる時よりも体が楽に動けた。(全体に日本より空気が良かった可能性もある。)そして何より、父が何度も連れて行ってくれた東南アジアに比べて、カナダは衛生環境が良いので、日常的に医療措置が必要な私も安心して旅行を楽しめたからだ。

(東南アジアが嫌いなわけではない。ワイルドな熱帯植物のジャングルは大好きだ✨ 楽しい思い出もある。しかし安全衛生上、既往症の多い私には健康状態と気力が問われる地域という事。安全衛生に絶えず注意をする必要があるので、旅を純粋に楽しむ事が難しい地域という事だ。)

カナダはスケジュールに余裕を持った自由行動の時間が多いツアーで、観光地以外の地元のスーパーやドラッグストアにも寄れた。ドラッグストアでは、日本では市販されていない血糖測定器やA1cの測定器が種類豊富に売られていて、カナダの医療事情が垣間見えて勉強になった。

日本の血糖測定器(在宅医療機器)は必ず病院から処方される物で、A1cの測定器については、たとえ「病院経由でも患者に処方してはいけない」というルールがある。カナダのシステムを羨ましく思ったが、そこには保険制度の違いが要因にある事も伺える。

一長一短。お金がなくて病院に行けない、薬が手に入らないという最悪の事態を防ぐために、日本の保険制度は大切だ。それによる不自由は...致し方がないのかもしれない。

それでも、A1 cの測定器くらい病院経由で処方して良いと思うけどねw

母にはとても感謝している。父が毎年の海外旅行で行先を決める際に、私のリクエストを「そんなところに行ったって。何もないのに。(繁栄が)終わった国なのに。」と何度も却下していた事を気にして、大学の卒業祝いにスペインにも連れて行ってくれた。

私はいつもの事なので仕方がないと思っていたが(資金を出してくれる親の意向が第一になるのは仕方がない事)と思っていたが、母は(姉も)気にかけてくれていたのだ。


【親知らずの抜歯】

3月下旬、3年間ほど放置せざるを得なかった虫歯の親知らずをようやく抜く事ができた。

先述の通り、脳機能と生活を保持するためにヘモグロビンA1cが高値のまま抜く事となった。抜歯後の傷口の感染症リスクがただでさえ高い中で、新型コロナウイルスの感染拡大も懸念される状況だ。一時的にやや下がった2月のA1cと、虫歯の悪化具合から「待ったなし」の状態で抜く事になった。

抜歯に備えて、2月から作り始めたオアシス035を8割方完成させて、御開扉の代わりに所属寺院で何度か唱題をした。母も抜歯当日に、住職の奥さんとお寺で一緒に唱題をあげてくれていた。

ありがたい事に、眼球使用困難症や脳機能の問題にも理解のある良い歯科医師(医療チーム)に出会う事ができて、抜歯は順調に進んだ。術後の経過も良好で、6月の再診では傷口が無事に修復していることを確認できた。


【緊急事態宣言と、家庭環境の変化】

2020年4月、新型コロナウイルスの感染拡大の懸念から、緊急事態宣言が出された。
当時、母は医療職として公共機関に勤めていたので影響はなかったが、父は民間企業の嘱託だったため、在宅ワークに切り替わった。会社へ行くのは週に1回くらいになった。

緊急事態宣言によって仕事がなくなってしまう(失業する)業種もある中で幸いだったが、しかし・・・ 発達障害や注意欠陥性多動候群の疑いが非常に強い父(落ち着きがなく、とにかく賑やかい)と、脳機能の低下(後遺症)によって、視聴覚情報が増える事で認知機能が悪化する私(変化がなく、静かで安定した状況が必要)。相反する症状の2人が連日、同じ家の中にいることになった。

家の中に誰もいない日は、昔のように1階で家族の料理を作る事もあったが、緊急事態宣言が出てからはできなくなった。それどころか、運動がてら広い居間を歩いたり、階段で踏み台昇降をする事もできなくなっていった。そしてもちろん、父とのトイレ問題なども頻発するようになる。

父の家にいる時間が長くなり、トイレの回数や滞在時間も長くなったために、私のトイレ使用が妨害される事も増えていった。(詳細は昨年の項目へ。)その内、今度は私に「お前は2階のトイレを使うな」と言うようになった。

私が使うとトイレが詰まるから、という理由らしいが、それはそもそも父のトイレの使い方のせいだった。父が家のトイレを立ったまま多く使うようになり、飛び散る尿で床や壁が汚れて臭うようになった。母が掃除をするように父に言っても聞かず、(飛び散らないように)座って用を足す事もしない。そのため、私がトイレクリーナーで掃除するようにした結果、元々細い作りの2階の配管が(トイレクリーナーで)詰まりやすくなったという事だ。

それだけなら対策のしようもあるが、そのほかにも色々な経緯があり、私は自分の身の安全を考慮して、部屋の中で用を足す事が増えていった。

体調的に目の不調が軽い日や、血圧、平衡感覚などが耐えられるときは階段を下りて1階のトイレを使えるが、体調が悪い時は階段の昇降に危険が伴うため、自室で用を足して流しを使うという状態。

父の在宅ワークが始まってからは、トイレを使わない時でも、とにかく家の中で父と出会う事が(身体的にも、脳機能的にも)危険という状況になった。 

廊下ですれ違っただけでも危険である。父は自分が感じた事を、感じた瞬間に全て口に出すし、話しかける。話しかけられて父の方向を向いた瞬間、いきなり父によって電気が付けられるという事が何度でも起きる。

私の低下した脳機能にとっても、眼球使用困難症にとっても禁忌である事を、無意識に何度でも繰り返すという、発達障害と注意欠陥性多動症候群の症状がある父。(そして、私の体調が酷く悪化しても、自分の行動に原因があるとは全く思わず、安否確認の言葉もかけずに足で押しのける悪質さのある父。)

緊急事態宣言による在宅ワークは、さらなる家庭環境の悪化の始まりだった。幸いなのは、自室の準備が整っている事。トイレや入浴については課題があるものの、部屋に籠城していれば(父と出会わなければ)極端なトラブルは避けられそうだった。

・・・刑務所だって、お風呂とトイレくらいは確保されるのになぁ...とは、何度も思うが💧

(ついでに・・・ 父の問題をもう1つ。

父は定年後、母に言われて料理を作るようになっている。気まぐれすぎる料理の内容や生煮え、生焼け・焦げる隙もない保存食的なカチカチのお肉など、状態にも色々と問題はあるのだが、何よりの問題は... 

「お前も食べられるように、アレルギー食材は使っていない。好きなだけ、どんどん食べろ」と言いながら、一方で「お前は2階のトイレは使うな」言い、さらに行動として「(トイレの順番待ちに)ノックしても良いが、そこから10分以上待て」という事である。 

父自身は自分を良い父親だと思っていて、そうなろうと努力しているつもりだ。その努力は私も理解しているし、感謝している。 しかし、最も重要で基本的な事柄への配慮がない以上付き合っていられない。 「どんどん食べろ、でも出すな」 とは、あり得ない。 用を足すために、私が安全に1階に下りられる健康状態ではないという部分に、理解が欠片もないのだ。


【快適な梅雨 🐧☔

この年の梅雨は例年より長かった。梅雨は複数の既往症がある私にとって 非常に過ごしやすい時期だ。雨や曇り空(暗い雨雲)によって、眼球使用困難症にも、低下した脳機能にも優しい環境が続いた。外の暗さ(雨天)によって視界が悪くなる事で、低下した脳でも視覚情報の認識が追い付きやすくなる。

複数の水たまりも、認知機能の助けになる。歩行にあたって適度な集中力が上がる(=脳にとって、ごく軽い負荷を継続的に与える)事で、負担にならない程度に認知機能の底上げができる。歩く速度はゆっくりだが、晴れた日よりも(歩行によって変わる景色が)怖くない。自分がどこにいるか、どこを歩いているかをスムーズに(正常に)認識できるからだ。

(それでも「歩きながら話す、話を聞きながら歩く(=脳に2倍・3倍の負荷がかかる ながら作業)」ということは、まだできない。)

例年の梅雨は(私にとっては)あっという間に終わってしまうので、家の中で体調を整えたり、自室の中で自由に動く・普段、十分にできない家事などをするために時間を使ってしまい、外出のタイミングをつかめない場合が多かった。しかし、この年はニュースで畑の作物への悪影響が話題になるほど長かったので、体調を整えたり、必要な事をした上で外出するという余裕ができた。

この年の体調に優しい長い梅雨を利用して、私は時々、母の仕事について行った。出勤の車に一緒に乗って、駐車場の近くにある照明の暗いパン屋さんで、お茶を飲んでいた♪
駐車場に到着後、認知機能が追い付くまで車の中で1時間ほど休み、パン屋さんへ行く。店内のイートインのなかで最も暗い席を選んで、紅茶とフォカッチャを食べて過ごす。

(乳製品にアレルギーがあるため、ほとんどのパンは食べられないが、油を使わないフランスパンや、オリーブオイルで作るフォカッチャは食べられる場合がある。パン屋さんによってレシピが変わるので、念のために店員さんに確認をする。)

このパン屋さんは窓が非常に大きいためか、照明が少ない。梅雨空の窓辺は暗く、さらに自由に下せるブラインドもあるため、快適だった✨

お昼が近くなると、梅雨でも太陽が強くなってくるので、10時~10時30分ごろに車へ戻る。そこからは... 雨が降るか、太陽が傾くまで車で寝るw 目に負荷を掛けられないので、本やスマホを見る事もできずに退屈するが、家の中で父といるよりは身の安全が図れるので安心だ。

雨が降り続く日は、近所を散歩したりもできた♪ 帽子とサングラス、日傘を持って歩く私の姿はちょっと異様に見えたはずだが、職務質問を受けることはなかったw ε-(´∀`*)ホッ

そんな感じで、この年の梅雨は合計4回くらい外出ができた♪

(父の問題を人に話すと、よく「他人は変わらないから・・・」という

見当違いの感想をもらう事が多い。住職さんもそうだし、お寺に関係ない人でも同じだ。

しかし問題は、どうやって重病人が身の安全を確保するのかということだ。

体調に優しい天候でも、毎日出かけられるほどの健康はないのだから。)


【この時期の信心】

1月に所属寺院の住職さんと揉めた後も、家での勤行は変わらず続けていた。2月の御講にも参詣した。しかし、新型コロナウイルスと、私の複数の既往症(感染症に弱く、重篤化しやすい体)、さらに親知らずの抜歯(感染症のリスクが更に上がる口腔外科手術)が重なり、3月からは御講に参詣していない。主治医の判断で通院回数も減り、外出自体を控えている。そんな中で、お寺へはお塔婆のために時々参詣して、三唱して帰る状態が続いていた。

(緊急事態宣言や感染者数などを考慮した上で、家族は6月くらいから御講に参詣している。)

たまにはお寺でゆっくり勤行や唱題がしたいと思い、母に連れて行ったもらった事もあったが・・・ 住職さんの注意喚起があるにもかかわらず、唱題中に顎マスクの信徒さんがいたため(少なくない人数。) 身体的に感染症のリスクが高い私は、やはり三唱だけで帰る事にした。

参詣の際には御供養の他に、当時は入手困難になっていた高濃度の消毒用アルコールを持って行った。広い本堂(みんなで使う本堂)の安全衛生に少しでも役立ててもらいたかったので、母と幾つかのお店を回り、通販でも探し、自宅用とお寺用を購入していた。

しかし・・・受け取った奥さんはいつも通りお礼を言ってくれたが、住職さんからは一言もない。私は気付いていなかったが、ある日、母が言った。「住職さんは... 何も言わないのね。いつも奥さんだけだわ。私たちもお寺を使うから、お礼を期待して持ってく訳ではないけど、この状況の中での消毒アルコールなのに一言もないというのは...」 お寺の責任者として一言あるべきだという母の言葉は、納得だった。 

ちなみに。前任の住職さんは、普段は執事さんや受付担当の信徒さんに任せていても、後日や御講の時など、顔を見た時に必ず声をかけてくれていた。 日蓮正宗の全てのお坊さんが、人間的に困った人という事ではない。私がこれまで出会った仕事や旅先で寄ったお寺の住職さんを見ると、日常的な気遣いのある住職さんの方が多い。 
遠方の病院を受診するために立ち寄ったお寺では、住職さんと奥さんが気を使ってお茶を出してくれた。さらにその上で、私を労わるようにゆっくり話を聞いてくれた。他のお寺でも、住職さんなりの方法で信徒とコミュニケーションを取る努力をしている姿をたくさん見てきた。 

今の所属寺院の住職さんのようなタイプは、珍しい印象だ。)

【住職(お坊さん)としての判断と、人間性の別について】

🌴 今の住職さんの良いところ 🌴


ここまで、今の私の所属寺院の住職さんには、(信徒の目線からは)人間としてあまり良い面が見当たらないように感じられると思う。

しかし、今の住職さんにはとても良い面が1つある。それはお坊さんとして最も有難い面だ。

祈る能力(祈りを届け、功徳を反映させられる能力、成仏させる能力、御本尊様を正しく保つ能力)はどのお坊さんにもあるが、今の所属寺院の住職さんの良いところは「御授戒や御本尊様の御下付について、臨機応変に対応してくれる(極端には、出し惜しみしない)」というところだ。

特に御本尊様の御下付については、住職さんによって考え方の違いが見えやすいように思う。例えば、前任の住職さんの場合は慎重だった。御授戒についても、少し慎重な印象があった。

本当に信心がなければ御下付しないとか、積極的に求めている人でなければ御授戒をしないという風に見える事があった。(信徒の私からはそう見えたというだけで、実際は違う可能性もある。)

御本尊様の御下付は、新入信徒自身の勤行の努力や信心の姿勢、行動(御授戒後に、頻回にお寺で住職さんと勤行をするなど)が伴わなければ、御下付をしないのが本当だと聞いた事がある。新入信徒の信心が一定のレベルに達していないと、御下付された御本尊様に対して 無意識にも御不敬となる行動を取る(最悪の場合、謗法の罪を作る)可能性が高まるからだ。

今の日蓮正宗では、どの時点で信徒に御本尊様を御下付するのかという事、その最終的な判断は各寺院の住職さんに任されている。

私は2011年の震災後に、病院や薬の状況に余裕のある関西へ引っ越す際に御本尊様の御下付を願い出たが、前任の住職さんは認めなかった。病状により、世帯として分離しない状況なので(=収入的に親がかりで、分離しないので)、御下付しないという理由だった。
(原則に則ると、御本尊様の御下付は1世帯として認める事となり、講費など別途納める必要が出てくる。そうなると、私の病状では負担になるだろうという配慮があった可能性もある。)

そして、「開いて拝んではいけない」という決まりのあるお守り御本尊様を御下付して下さった。

一方で、2015年に引っ越した時は今の住職さんだったが、私の申し出にその場で決断し、すぐに御下付してくださった。これは非常にありがたかったが、御下付の原則を思えば、色々な面でイレギュラーな対応だったはずだ。
そして、信心に後ろ向きな母方の叔父さん一家の御授戒についても、素晴らしい機転と知恵で叶えてくれた。(叔父さんと1人の従妹は御授戒を頂いていたが、信心が全くない状態。叔母さんともう1人の従弟は御授戒を頂いていない状態だった。)

叔父さん一家の御授戒については、祖母が前任の住職さんの時代に何度もお願いしていたが、叶う事はなかった。(前任の住職さんは原則や基本を忠実に守った上で、御授戒を行おうとしていた可能性がある。御授戒を受ける本人達の明確な意志や、心を重視していた様子。)

今現在、私が安全に勤行ができる事も、1月の折伏(ファミレスで声をかけてきた女性の御授戒)が叶ったのも、今の住職さんだからという事が言えるだろう。

私は眼球使用困難症によって家族と同じ部屋にいることができないため、自室に御本尊様を御安置できることは有難い。1人暮らしの療養先から帰宅した際に、念のために住職さんに御本尊様の扱い(1つの家に2つの御本尊様がある状態になるので、返還が必要かどうか)について聞いたが、ここで住職さんは「そのまま、もっていて良い」と言ってくれた。

今の所属寺院の住職さんは、人間としての対応に問題のある部分・下手な部分は多いが、お坊さんとしては非常に現実的なタイプの人だという印象がある。原則は原則として大事にするが、宗教としての実を重視しているというか...。

そのおかげで、健康上の理由で家族と同じ環境に暮らせない私でも、御本尊様に祈る事ができている。

(´・ω・`) 良いところ、あるんだけどな... すごく感謝してるんだけどな... 日頃のコミュニケーション不足で、損をしている住職さんだ。(話す内容には問題があるけど、やることは確実にやってくれるというか...。バランスが・・・💧)

「サイト管理人はこんなサイトを作っておいて、感謝って... どの口で言うのか?」と思うかもしれないが、だからこそだ。

せっかく入信して、末法時代に成仏できる唯一無二の金剛宝器戒を得る事ができたのに、お坊さんの人間としての至らない部分に遭遇したことで信心を停滞させてしまったり、退転してしまう人(=成仏まで、回り道をしてしまう人)がいる。私のように功徳の確信を得て踏み止まり、尚且つ信心を前向きに継続できる人は(おそらく)少ない。

私の功徳の確信を得た経緯や経験、自身の抱える様々な日常の問題に加えて、お坊さんやお寺の問題点を経験しながらも退転しないで続けられた経緯を知る事で、信心を継続して広宣流布に邁進できる状況を、僧侶と信徒、双方の努力によって整えていく切っ掛けになれたらと思っている。

【酷暑:眼球使用困難症の悪化】


長い梅雨が明け、8月が来た。この年は酷暑だった。太陽が例年よりも強く、眼球使用困難症が悪化した。眼球使用困難症の状態は、屋内でも(窓がなくても)太陽による圧迫や痛みを感じるので、外へ出なくても太陽が強いだけで悪化する。目に一番影響を及ぼすが、関節などにも影響がある。(皮膚が弱いわけではないので、外出時に手袋などは必要ない。)

この2020年8月1日から今日まで、私はサングラスや帽子、日傘を身に付けても、1人では家から出られなくなった。

玄関の正面にはLEDの街灯があるため(ここまで状態が悪化すると)夜間も家を出られない。
遮光カーテンで日光を遮る部屋にいるものの、ボックスカーテンではないために 上部から光が漏れて痛い。療養先から戻った際に母に相談したものの、ボックスを付ける(工事する)許可が得られなかった影響がここで出た。

再度母に相談すると、遮光障子を取り付ける(張り替える)と言ってくれた。とても良い方法だが、今の私の部屋の窓は非常に大きい。普通サイズの障子(東窓)が二枚と、超特大サイズ(南窓)が二枚。超特大サイズは業者に頼む必要があると私が言うと、母は必要ない(母が自分で張る)と言う。

(―ω―;) 本当にできるのかな💧

不安に思いつつ、日中は(テーブルクロス代わりに)シーツを掛けた机の下に潜り込み、床からの反射光(カーテンの隙間光の反射)を頼りに血糖測定や食事をする日々。そして想像通り、障子の張替えは1カ月たっても着手されない。

体調を見計らって、私はカーテンレールに黒い養生テープを張る事にした。この応急処置で机から少し頭を出せるようになったが、それでも光が痛い。今度はアルミ加工のある外壁補修の黒いテープを張る事にした。 カーテンレールや壁が傷むのは嫌だったが、非常事態だ。

母はカーテンボックスを嫌がり、自分でやると言った遮光障子も張替えが進まない。そんな中で、私には血糖測定や食事、インスリンポンプの交換(針やチューブの作業)に普段以上の危険が伴っている。私は遠慮なくカーテンレールを加工した。

カーテンの合わせ目や両脇、裾も黒い養生テープで壁に貼り付け、徹底して隙間の光を遮断した。夜中にせっせと加工して、朝を待つ。

何度目かのトライで隙間を埋めることに成功し、私はようやく机の下から脱出できた。🌴\( 'ω')/🌴

応急処置が完成したのが9月上旬。時間限定で少しは動ける環境ができた事で、普通サイズの障子については自分で外し、紙をはがして桟を掃除。(東窓には街灯があるので、取り外しには苦労した。点灯時間と日没・日の出の境目を狙ってカーテンを使いながら頑張る。)あとは母に貼ってもらうだけの状態を作った。(張る作業は、十分に電気をつけられない私では危険と失敗の確率が高いので、母に頼む必要がある。)

普通サイズの障子については、9月中に張替えが完了した。

遮光障子は、学生時代に自分で4枚張り替えた経験がある。
元々の私の部屋は4畳半なので、普通サイズの障子だつた。
今ほどではなかったが、当時も眼球使用困難症で苦労していたので、
自分で遮光障子を探して取り寄せた。
母はそれを覚えていて、同じメーカーから取り寄せて張ってもらうという流れになった。


季節が過ぎても、一度悪化した目の状態は簡単には改善しない。すぐに遮光障子が完成していれば回復の速さも違ったが、結局8月から翌年の3月まで、南窓の遮光障子は入れられないまま時間が経つ事になった。

母は仕事の疲労で取り付けられず、かといって業者に依頼する事は反対されたまま。父に頼むには危険すぎて無理という状況だ。父に頼むと、張替え中に障子(桟)を壊されたり、カーテンを引きちぎられる恐れがあるという事だ。これは父が意図して壊すのではなく、父の異常なほどの注意力のなさ(注意欠陥性多動症候群)から引き起こされる。そして実際に、1階の居間の障子を張り替える際、網戸を破った過去もある💧


※ 結果的に父には何も頼めない。頼む事をしなくなるのだが
それを続けると「家事は簡単だ」と言い、父は家族に横柄な態度を取り続ける。

母は限界に達し、父の定年後は(家が壊れることを覚悟の上で)家事を頼むようになった。


【この頃の過ごし方】

この頃、日の出の時間から机の下に入り込み、乾パンやペットボトルの水で凌ぐ。座ったままウトウト...。 日が沈むと机から這い出て、生活を始めるw
闇鍋の気分で食事をして、勤行をする。(お皿やお弁当箱の上に「黒い何かが乗っている」という状態で食べる。ワクワクだw)普段は小さな間接照明を使っていたが、この時は状態が悪かったので、照明を何もつけずに勤行をしていた。

日蓮正宗の御本尊様は、曼荼羅の御本尊様ただ一つ。しかし、この時の気分は邪宗の即身仏の準備のようだった💧 他にできる事がなかったからだ。テレビもパソコンも使えず、ラジオのパイロットランプさえ辛く、本を読む事もできない中で、日々の勤行を続けていた。

画面の光るスマートホンも使えなくなったが、転地療養から戻った際、ネットショップ用の電話回線を引いていた事で助かった。母に頼んで液晶画面のない電話機を買ってもらい、業務用の親機(液晶付き)にケーブルでつなげて、外部への連絡方法を確保した。

何もできないほど見えない、暗い部屋の中でどう過ごすか。私はしばらくして、ある玩具を思い出した。タングラムとソリティアだ。これは脳機能に適度な集中力を与えて、激痛を僅かに和らげ、認知による恐怖感を和らげてくれる玩具。転地療養中に買った事を思い出した。
タングラムは形さえわかれば(黒い影でも)組み立てられる。ソリティアも白と黒のコマなので、もしかしたら遊べるかも...?

明かりがない中でコマや形を見分けるのは難しかったが、少し気は紛れた。

※ ここでのソリティアは、トランプゲームではない。
中世のヨーロッパで流行した、黒いコマと白いコマを使うボードゲームの事。
投獄された貴族が暇潰しに考案したゲーム、と言われているが真相は不明。
 偶然にも、生活環境的に 私もそんな貴族気分を味わえたw
即身仏の準備気分になったり、影のある(腹に一物も二物もある?w)貴族になってみたり...

なかなかドラマチックなごっこ遊びでしたw 「一時の遊び」で済んで良かったょw


【トイレへの第一歩】

眼球使用困難症が悪化して、窓のある廊下へ出る事もできなくなっていた。トイレにも行けず、小用は流しで済ませられたが、大便に困る。ビニール袋や新聞紙を数枚重ねて袋に入れ、廊下に出して家族に持って行ってもらう事にした。母は公的機関で毎日出勤なので、在宅ワークの父に持って行ってもらう。(これには父は、いつも快く応じてくれていた。)

🌴 🌴 🌴

実は始めは自分の部屋の中に保管していたが、次第に部屋中が臭ってくる💧 新聞やビニール袋でどれだけ巻いても臭うので、父に持って行ってもらう事にしたのだが、これを母に(電話で)話すと笑われた。

母は「赤ん坊のオムツと同じで、どこまでカバーしても臭う物なのだ」と言い、「(父も母も、姉もオムツを替えた経験はあるが)経験のないお前には、いい勉強になっただろう。ハハハ・・・」と明るく笑う。長く、何度も笑った。

状況が状況なだけに、私は流石にカチンときた。 酷暑の中、母によるカーテンボックスの未許可によって病状悪化の度合いが深まっている結果、廊下にも出られず、トイレに行けないのだ。私は言った。

「ああ、そうだね。私は末っ子だから、下に世話をする弟も妹もいない。おまけに、よその赤ん坊を預かった事もなければ、自分の結婚や出産も経験がない。ありがたい事に、親も今のところ介護の必要はない。そりゃあオムツ替えなんて勉強しようがないよね!」

母は珍しく絶句した後、言った。

「・・・じゃあ・・・ 作る? いまから。弟か、妹・・・」 

・・・ ( ̄д ̄;) なに言ってんのよ・・・💧


🌴 🌴 🌴

その後、私はトイレへの通路を確保するために、夜のうちに廊下とトイレの窓にアルミホイルを張ったが、母に金属アレルギーに似た症状が出たため、外される事になった。約1週間後、私は母にトイレに行く通路を何とか確保してもらうようにお願いをしたのだが、その時も妙な応答があった。

「じゃあ、うちは一軒家だけど、賃貸みたいにいつも暗い廊下で、人が通る時だけ電気をつけるようにしたら良いんだね!?」

言い方が酷かった。早口なので頭の中で言葉が白く光り、大部分は覚えていないけれど、随分と酷い言い方だった。私はトイレに行きたいだけであり、窓を閉ざすのも家の中の一部分だ。そんな風に言われる筋合いはない。

なかったが... 言葉が白く光る中で、ふと気が付いた。内容的には概ね正解であり「そうだ」と言えば、私にとって安全なトイレが確保される可能性がある事に。

賃貸の間取りがそんなに悪いものだとは思わないが(うちの家がかなり特殊な作りなので)、とりあえず反論しないで「はい、お願いします」とだけ言った。非常に気分が悪かったが。


しばらく後、母から電話が来た。さっきはごめんね、と。「お父さんが近くにいるから、ああ言うしかなかった。ああでも言わなければ、窓の加工に協力を得られないから」と。

母の言う協力とは、理解を含めての事だろう。後々、父に窓の加工を外されてしまう可能性もあるからだ。何となくわかった。しかし、釈然としない。あまりに酷い言い方だったからだ。さらに、先のオムツ替えの話もある。母がどこまで私の状況を理解しているかは謎だ。

ともあれ、私はようやく安心して使えるトイレを手に入れた。父の長居は相変わらずなので完全ではないが、まず物理的な問題をクリアできた。トイレへの第一歩だ✨

電話の後、母はすぐに窓を加工する材料(厚紙とテープ類)を買いに行き、父と一緒に2つの窓を加工してくれた。本当に有難かった。ちょっと泣けたw


【秋:エアロバイクと高熱、運動の問題】

酷暑が和らいできた10月。ようやく部屋の中で動きやすくなってきた。私は運動不足の解消に、エアロバイクを漕ぎ始めた。

新型コロナの流行によって父の在宅ワークが始まる前までは、誰もいない時間に1階で料理をしたり、家の階段などを使って運動できていたが、今は部屋の中に籠城の状態だ。ウイルスに感染しなくても、生活状況によって血栓ができかねない。おまけに、脳機能の後遺症と眼球使用困難症の悪化で、できる事が極端に少ないため、気分転換も難しい。食べることに意識が向きがちで、気を付けてはいるが体重も気になるところだ。

エアロバイクの設定は、ごく軽い負荷で漕いだ。10段階のうちの2段階目。

転地療養から戻って、家族との同居や都会の詰んだ街並みに脳機能がついていかず、外出による運動が減ったため、筋力や体力は落ちている。まず血行不良の解消になればと、緩い負荷で長めに漕ぐことにした。(20分~30分。4キロ~6キロ)

なかなか快調♪ 久々の運動に気分もリフレッシュした。1週間に2回のペースで続けたところ、3回目の後、私は高熱を出した。

朝起きたら38度台の熱。(38,4℃くらい。)嘘だぁ... と思っていたが、その30分後には39度になった。ベッドに寝ていただけなのに💧 起きた時点は強い症状はなかったが、さすがに間接が痛くなり、立つと足に力が入らなかった。

かかりつけの病院に電話をすると「まずは保健所に連絡をして、近所の病院でPCR検査を・・・」という話だった。特殊な既往症があるのに、近所の病院で大丈夫なのかと思ったが、病院は譲らない。とにかく保健所へ連絡をして、その指示のもとに動けと言う。

保健所に電話をすると、丁寧に対応してくれた。熱の推移と症状、外出の有無や既往症などを詳細に聞き取り、最寄りのPCR検査が可能な病院を指示してくれた。(検査時間の予約も取ってくれた。)途中、脳機能の後遺症と熱の影響で酸欠が悪化し、係員の言葉を聴き取れなくなったり、理解に時間がかかったりしたが、何とか意思の疎通はできた。

仕事中の母に電話をして事情を話し、仕事を抜けて車で病院に連れて行ってもらった。母は看護師として同じ市の保健所に勤めていたので、半休に理解を得やすかったそうだ。

PCR検査の結果は陰性だった。父も母も濃厚接触者にはならず、これまで通りの生活を続けられる事となった。本当に良かった。

そして... 熱が下がり、体調が回復した後に再びエアロバイクを使い始めたところ、同じ状態を2回繰り返したw 合計で3回の高熱。人生で39度を出したのは、この3回が初めてだ。2回目、3回目の時はかかりつけの主治医にも電話で相談した上で、新型コロナではないだろうという推測の元に市販の薬(アセトアミノフェンなど)で対処した。

(既往症と生活環境を思うと、外出できていない上に、居間で家族に会う事もほとんどない状態なので、新型コロナの感染確率は非常に低いという推測。)

3回の高熱はどれも日数が開いていたので最初は気付かなかったが、3回目が終わった後「もしかして、エアロバイク・・・?」と気が付いた。外来で主治医に話すと、主治医は「考えにくいけど...」という雰囲気。そして私が生活環境と運動不足を気にして、食事を少し減らしていることを伝えると、主治医は「それだ!」と言った。

結論として、主治医から「ちゃんと食べなさい。高熱を繰り返していたら意味がないから」という指導をもらう。しかし、私は痩せてはいない。BMIも高い。炭水化物くらいは減らしておかないと... と思いながらも、低血糖や脳機能の状況に合わせて食べている。(1型糖尿病にとって)インスリン量や血糖の調整を難しくする炭水化物ダイエットはしていない。

主治医の話に釈然としないものの、一応、我慢しないで食べるようにした。新型コロナが流行する前と同じ程度に食べることにした。そして、エアロバイクは漕ぐ時間を減らしても症状(熱やのどの痛みなど)が出てくるので、止めることにした。

この後、増える一方と予想される体重と、脂肪の増加によるインスリン抵抗性を防ぐために、階段を使った踏み台昇降、腹筋、青竹踏みと、続けられそうな運動を試みている。なかなか続かないので、変遷があるw 今やっている青竹踏みで最後にしたい。なんとか続けたいところ...。


【この頃の信心:祈り方の話】

この頃、日々の勤行は変わらず続けていた。新型コロナの流行と既往症、眼球使用困難症の悪化から、お寺へ参詣できない日が続いている。

そんな中で、私は以前にお世話になったお坊さんたち(当時は執事として勤務していたお坊さん)を思い出していた。所属寺院から異動になって15年~20年ほど経った。今頃どうしているだろうか。これまでの大石寺参詣で母や姉は偶然に会う事が何度かあったものの、私は会えていなかった。

(脳機能・認知機能の低下で亀より遅い歩みの私は、集団からはぐれていたから。私たちの添書登山の日に、お世話になった住職さんたちは支部登山で参詣していた状態。御開扉後に下山する集団から、私ははぐれて歩いていた。)

お世話になったお坊さんたちは私の事も覚えていて、心配してくれていたと家族から聞いていた。当時は言語障害も今より悪い状態で、歩行中の景色の変化・認知能力の低下も相まってとても話せない状況だったが、今ならなんとか話せる。自宅にいるので、電話はながら作業ではない。ゆっくりした会話ならできる。ただ、生活環境もあって病状は不安定で、再び悪化する可能性もある。直接、自分の意思と言葉でお礼を言える状況は、今しかないかもしれない。

かえって気を使わせてしまう気もして悩んだが、昔お世話になったお坊さんたちへ電話をする事にした。
立派な住職さんになったお坊さんたちは、今も変わらず私を励ましてくれた。信心に役立つ為になる話もしてくれた。そして、その夜以降に胸に感じた風は、今の所属寺院の住職さんと同じく、脳の酸欠や痛みを和らげてくれる有難い御祈念だった。(人数分の強さの風を感じたので、驚いた。)

私は眼球使用困難症の悪化で外へ出られない(郵便局へ行けない)ので、母に事情を話して、それぞれの住職さん宛てに御供養を送ってくれるように頼んだ。


【✨祈り方の話✨】

この時に聞いた話の1つが、祈り方の話だった。内容はとてもシンプルで、勤行の四座や唱題など、祈念の際に「(私は)広宣流布のお役に立ちます」と祈る事だった。具体的には、「広宣流布のお役に立ちますので、○○(願い事)をお願いいたします」という感じだ。

住職さんが言うには「ひとに助けてもらう時や、力を貸してもらう時に。ただ力を貸してと言うよりも、○○のために必要だから力を貸してほしいと言う方が、相手も助けやすいでしょ? 広宣流布のお役に立ちますと祈るのは、それと同じです」との事。

健康祈願であれば、ただ健康にしてくださいと祈るよりも「広宣流布のお役に立ちますので、健康にしてください」と祈る感じだ。

(実は10年以上前に、同じ祈り方を他支部の信徒さんから聞いた事があった。しかし、その信徒さんはお子さんの大学受験の願いが叶ったという事だったので「受験は本人の勉強の努力が第一だからなぁ」と、私はそれを信じて実行する事ができなかった。 詳細は後述。)

実際にやってみると、不思議なほど効果があった。酸欠が酷くて勤行ができないときに「広宣流布のお役に立ちます」と思うと、すぐに酸素が入ってきた。思っただけで、お題目を唱えていないにもかかわらず効果を感じた。そしてお題目を1篇唱えると、さらに酸素が入ってきた。まるで錆びついた体や脳に油が刺されたような、体が軽くなる感じもある。 一呼吸ごとに「息を吸った」感覚が持てるようになり、酸欠で弱っていた認知機能が追い付き始める。(いま自分はどこにいて、何をしているのか。その日は何をする予定があったのか、何をしようとしていたのか、などがわかるようになる。)まるで空気の綺麗な高原にいるような気分だ。そして、脳機能の不調に伴う諸症状や頭痛が和らぎ、休める状態になった。

10年前、痛みと酸欠が酷くてお題目1篇を唱えることが難しく、御本尊様の前で手を合わせて座るだけが精一杯で、できる時は1篇を切れ切れに、時間をかけて唱えていたのが嘘のようだった。当時はお題目1篇を唱えるだけで激痛が和らいで、意識を休ませられた。あの頃にこの祈り方を聞いていたら、もっと早くに勤行ができるところまで改善したのではないだろうか。当時は何を思う事もできなかったが、紙に書いた文字を目に移すとか、ゆっくり自分で紙に書くくらいはできた。お題目の書写が禁じられている以上、広宣流布のお役に立ちますと何回でも書けば違ったかもしれない。 

普段は酸欠が多少なりとも改善し、脳機能がマシになるのに半日~1日以上かかっていたが「広宣流布のお役に立ちます」と祈る事で、眠れる程度に酸欠が改善された。(それ以上の大きな負荷や、環境・状況・視聴覚情報の変化がなければ)認知機能は1時間~3時間で追いつくようになった。本当に有難かった。

それから、日々の勤行で「広宣流布のお役に立ちます」と祈るようになった。脳に酸素が回りやすくなるからだ。もちろん無理は禁物で、すぐに健康な状態に戻る訳ではない。毎日(連日)2回の勤行を続けることは難しいし、通常のテンポで会話(即時応答)ができる状態になる訳ではない。しかし「広宣流布のお役に立ちます」と祈らない状態よりも 脳機能や頭痛などに良い影響がある事は確かで、生活上とても有難い状況が作られる。続けた結果、急性の体調不良に対して、以前よりも速やかに適切な対処ができるようになった印象もある。 

(複雑な症状や、対処の行動が難しいほどの激痛に対して、対処方法を迷わないというか。無意識にベストな方法を速やかに取れるようになってきた印象。無意識の予知のようなものが働きやすくなった印象も…。以前より少し安心して寝られるようになってきた。)

今の私は寝る事、休める体の状態を作る事も大変な状況で、それが少しでも叶いやすくなった事が有難い。体内環境的に安全に休めなければ、回復は遅々とする。それが改善してくる状況は、功徳による健康への第一歩だ。


🌴補足1:酸欠の詳細🌴

うまく説明できないが、この酸欠は「息を吸っても、(頭に)入ってこない。言葉をつかえない。居る場所がわからない。状況がつかめない」という感覚を覚える状態だ。

私の脳機能の低下は細胞レベルのダメージで、息を吸うと体には届くが(筋肉は動く。オキシメーターも正常値。)脳には届きにくい。そのため、認知機能や言語能力、頭痛などが改善しにくい。

病院でも説明を受けたが、血管内に酸素やブドウ糖(=脳細胞の栄養となる物質)があっても、脳細胞が血管から栄養を取り込む力を失っている状態(それほどに細胞に栄養が枯渇している状態)らしい。

(ただ、強い頭痛については 栄養を取り込む力を何とか保持している細胞が、血管から十分な栄養を取り込もうと血管壁を引っ張る状態となり、三叉神経を刺激して痛みを誘発している可能性がある、という話もあった。)

🌴補足2:祈り方「広宣流布のお役に立ちます」との最初の出会い🌴

この祈り方は、実は10年~15年前(バセドウ病が落ち着きつつある頃)に他支部の信徒さんからも聞いた事のある話だった。その信徒さんはお子さんの大学受験の際に「この子は広宣流布のお役に立ちますので、どうか英語を上達させてください」と祈った結果、伸び悩んでいた英語の成績が上がり、第一志望校に合格したとの事。(お子さんの信心も篤く、日々の勤行やお寺の行事に欠かさず参加するなど、勉強とともに信心にも努力していた。その後、英語を活かして海外信徒さんの案内ボランティアとして活躍したそうだ。)

当時の私は「まさか」という感覚で(受験に合格したのは、何よりもお子さんの勉強の努力と、健康を保てる信仰心のお陰だろうと考えて)特に重く受け止めていなかったのだが、今度は住職さんから聞く事になった。住職さんは、私の体の事情をよく聞いて理解した上で、穏やかに思いやりをもって、とても真剣に丁寧に話してくれた。これによって、私はようやく「広宣流布のお役に立ちます」と祈る事ができた。


【すぐに功徳が現れた理由(サイト管理人の考察。正解は不明。)】

バセドウ病によって毎日1時間の唱題を始めた頃と違い、功徳を速やかに(即座に)実感できた不思議に、私は「なんだ? これは一体、誰の願いで、誰の祈りだろう?」と思った。 日頃の自分は折伏が叶うようにと真剣に祈る事はあったが、広宣流布についてはあまり意識がなかったからだ。規模が大きすぎて(遥か彼方の目標に見えて)広宣流布の言葉を身近に感じていなかった。

(勤行の四座や、お寺のスローガンではお馴染みの言葉だが「あー、ハイハイ。また言ってるのね。広宣流布って、数だけの問題じゃないだろうに💧」という印象だった。それほどに【〇〇万人達成へ向けて】とか【○○万人構築へ向けて】などのスローガンが多いのだ。 

スローガンを掲げるのは良いが、中身に手を入れている様子が感じられないというか...💧 今の体制や指導方法で、本当にそれだけの信徒数に達しても、新入信徒が増えても大丈夫なの? っていう...。 実際に、某エセ宗教法人から日蓮正宗へ改宗した人たちの中には「結局、数ばかりで同じだわ。違う宗派といっても、大して変わらないじゃない」と言って、正しい御本尊様の功徳を実感する前に退転する人も多いと聞く。 信徒への日頃の伝え方や指導方法の改善があってこそ、正しい御本尊様も、正しい修行も、広宣流布のスローガンもより活きるはずだ。)

私はそんな感覚だったので「広宣流布のお役に立ちます」と、祈ってすぐに功徳が現れた事に不思議を感じた。これは自分の明確な意思による祈りではなく、教えられた言葉を祈っただけだからだ。心が十分に伴っていない状態なのに、即座に大きな効果があるという事は一体、これは誰の祈りで、誰の願いなのかと。

猊下やお坊さんたちは当然、祈っているだろう。しかし、私にそんな力はない。異体同心の話もあるが、同じ内容を祈ったところで(本心で強く祈らない以上)即座に御本尊様から功徳を引き出せるほどの祈念の力は、一般信徒の私にはとても・・・。 そう考えた時、ふと御書の一説を思い出した。

「微力を励まし、予が願ひに力を副()、仏の金言を試みよ。

経文の如く之を行ぜんに徴(しるし)無くんば、釈尊正直の経文、多宝証明の誠言、十方分身の諸仏の舌相、有言無実と為らんか。」

引用:曽谷入道殿許御書

たぶんこれだ。予が願いとは、日蓮大聖人の願いだ。日蓮大聖人の願いは広宣流布によって、全ての人が金剛宝器戒を得て、正しい御本尊様の下で法華経の修行に励み、即身成仏を果たす事だ。信徒が広宣流布を祈る事、折伏をする事は、日蓮大聖人の願いに力を添える事になる。そして、たとえ微力であっても(お坊さんほど修行を積んでいない信徒でも)、実行すれば功徳が現れる(祈りの影響が現実に現れる)という事だと私は考えた。

※ 正しくは、微力の「力」とは信力の事で、

経文の如く之を行じるとは、折伏を行う事。


🌴 サイト管理人の信じる心(微力)は、どのように作られたか 🌴

私は日々の勤行や御講に加えて、22歳から毎月の添書登山を重ねることで「(御講で住職さんの話を聞く通り)何かがある。家族の中で自分だけ、御開扉の度に急に体調を崩したり、怪我をするという事は、やはり功徳もあるのではないか」と感じて(徐々に御開扉に伴う体調の急変や怪我がなくなった事もあって)信心を継続した。

その後、悪化するばかりだった甲状腺の病気が 毎日1時間の唱題を始めたことで寛解し、重い副作用を伴う手術(放射線治療)を免れた。この前段階には、希少な医療器具を入手できたお陰で既往症の状態も改善し、最後まで原因の分からなかった強い首の痛みも治った。(唱題を始めて1カ月~3カ月での功徳)その後に帯状疱疹も発症したが、意外なほど軽く済んで、後遺症は残らなかった。

そうして日蓮正宗の信心に確証を得て(毎月の御開扉と1日1時間の唱題を続けたまま)折伏を積極的に始めたが、それでも広宣流布への意識は低かった。他支部の信徒さんから「広宣流布のお役に立ちますと祈ると、叶うんだよ」と聞いても「大学受験はまず、本人の勉強が第一だからなぁ。」と、信じられずに実行する事ができなかった。

それから10年以上経ち、低血糖脳症の後遺症で脳機能に多くの不調と生活の不便を抱えた今、お坊さんから直接の指導(私の複雑な身体事情をよく理解した上での、真剣な、思いやりを感じられる指導)を得られてようやく「広宣流布のお役に立ちます」と祈れるようになり、その功徳を感じられるようになった。


【 感想 】

私はだいぶ遠回りをしたが、それでも今が大変な状況である分、よりその功徳を実感できている。「広宣流布のお役に立ちます」という祈りが効果的というのは、盲信ではなく、プラシーボ効果でもない。最初は借り物の言葉であっても、わずかでも御本尊様を信じる心があれば、確実に功徳があるという事を私は実感した。

いきなり信じる(信じ切る)状態で祈る事は難しい。それでも、本当に困っていれば自然と(僅かであっても)信じる状態が自分の中に作られるのだと思う。

(私は功徳の確証を得て、折伏を行っている。その点は、確実に信じていると言える。しかし、広宣流布についてはスケールの大きさに「今のお寺のやり方では、難しいのでは?」と思っていた状態だ。これをどれくらいの信心と見るか、何と見るかは、自分ではわからない。)

🌴☕🐧🌴


お寺では信行学の信が最も大切で、行(特に自行)だけではダメだとよく言われるが、何がどうダメなのか。私はダメも何もないと思う。化他行があってこその成仏とはいえ、信じることは自発的な感情であり、他人からのダメ出しによって実行できるものではない。そもそも、そんなダメ人間のための法華経であり、ダメ人間ばかりが生まれるからこそ末法のはずだ。今さらの事をダメ出しの形で言う意味(後ろ向きの言い方をする意味)がわからない。自行が進めば放っといたって化他行に進むのだから。

(やって良ければ、使って良ければ他人に勧めるのは、昔からあるクチコミの原理だ。同じ内容でも、人を動かすのは後ろ向きな伝え方ではなく、前向きな伝え方だ。「信じることで、より功徳を得やすくなる」と伝えながら、現実的で具体的な例を話す方が良い。)

自行から入って功徳による信を得て、化他行(折伏)に進み、さらに深い信を持つのは自然なことだと思うが、どうだろう。最初からダメ出しばかりの指導を聞いて、すぐに「ハイ、信じ切ります!」と、本当に信じ切って祈れる人の方が珍しいはずだ。素直な心(経験や知識がないために、言われたままを信じる子供のような心)と言えばそれまでだが、その純粋培養で育った人間に、どこまで化他行ができて、どこまで俗世間の信徒の理解と行動を促せる指導ができるのか。ねぇ…。( ̄ω ̄;) 純粋さは人の心を動かすとはいえ・・・。

🌴☕🐧🌴


今、生活上に悩みがある人、困っている人には、ぜひ日蓮正宗の御本尊様へ信心を進めてほしいと思う。既に信徒さんで「功徳があるっていうから日蓮正宗に入信したけど、よくわからないなぁ」と思いながらも、とりあえず御講に参詣したり御開扉に参詣している人には、「信心の中で、まだやっていない事」に取り組んで、ぜひ水の信心を続けて功徳を実感してほしい。

私の信心は非常に現実的で遠回りだが、それでも(最初は半信半疑でも)実行を続ければ、功徳の確証が得られるようになって信じることができ、自発的に折伏ができるようになる。そして御講の話や御書の内容を理解しやすくなる

なので、どうか長いスパンで試しにやってみて、試しに続けてみてほしい。そうして日蓮正宗の信心を生涯全うし、一緒に、その先を見に行こう。自分の選択と行動、努力の結果を見に行こう。


転生は成仏するまで繰り返される。それなら、今生の一生をかけて、1つの宗教を試してみるのも良いはずだ。最終的に成仏できたか否かは、寿命を全うするまで信心を続けてみないとわからない。(肉体を持って生きている間は、境界は固定されない。修行によって高い境界を得ても、自分の感情や縁に触れて下の境界に落ちる事もある。だからこそ、低い境界も修行次第で高い境界へと成長させることができる。魂のままでは境界が変化しないために、魂は肉体を得て転生を繰り返す。)

この日蓮正宗の御本尊様とお題目、金剛宝器戒の功徳と真価、日蓮大聖人の言葉、御書の内容、歴代の猊下や住職さんたちの導師としての能力。それらを判断するには、まず信心を寿命まで全うする必要がある。

肝心の宗教の正邪については、現世的に判断しやすい方法として、日蓮大聖人は三証を示してくれた。現在、既に日蓮正宗の信徒である人には、どうかまず、諦めないで水の信心で続けてほしいと思う。

🌴 🌴 🌴


現世安穏も、即身成仏も、後生善処も自分自身がやってみなければ、現実はわからない。お坊さんたちは黙して多くを語らない。教えてもらおうとしても、信徒の窮状を詳細に聞く事をしないお坊さんとしか、当時の私は縁がなかった。じゃあ、やるしかないよね?w 

複雑な病状によって身体的にできる事が極端に少ない中で、どう修行したらいいか求めても教えてもらえなかった期間に、私にできたのは体当たりだけだ。他支部の信徒さんから聞いた祈り方(広宣流布のお役に立ちます)さえ、困っている瞬間に思い出せなければそれまでだ。

体当たりの中で、何が謗法で、何が罪か。重い病状に合わせて工夫しようにも、それがわからない状況では、もう・・・ 

何でもアリだ。 ( ̄― ̄;) これ以上、私に怖い物なんて  ・・・・・ あるけどさw

それでも、身体機能だけでなく、脳機能まで制限された状況で信心についてお坊さんのアドバイスが得られないのでは、動きようがない。

だから、ハッチャけたw これまでの私の経験と見分を集めたオアシス035を作った。信心を続けられる人を増やすために。退転を思う人の心に一定の理解と共感を示し、その心を解して、それぞれに合った水の信心を作っていけるように。その切っ掛けとなるために。

大それたことをしたかもしれない。しかし、もし罰が現れたとしても(先にここまで体が壊れていれば)今さらだ。これが謗法の罪となるなら、次こそは即死で終わるように。あっさりとした顕罰が出る程度に、自分が功徳を積んできていることを願うだけだ。もしオアシス035を見て、信心の道を踏み外す人がいたとしたら。一般信徒(お坊さんではない)とはいえ、きっかけを作った人間として、その影響を私も少しは受ける事になるかもしれない。

(既に金剛宝器戒を得ている以上、たとえ謗法罪によって成仏できずに転生しても、私は何度でも成仏するまで道を登り続けるだけだ。他の戒律に比べて、短期で確実に成仏できる道が開かれた状態での転生だ。こんな安心は他にない。信心を続けるだけで、成仏へのレールが既に敷かれているのだ。必要なのは、信心を全うする自分の気合だけだw 「クソッたれ!」と歯噛みしながら道を登るだろうなw)

もし影響を受けるとしても、様々な経験を通して得た信心の経験と功徳の伝達をここで止めては(オアシス035の作成を止めては)、「御書を御書のままに読む」方針によって、罪と責任を恐れて語らず、御書に示される功徳と現実のギャップに悩む信徒の信心を(わかりやすく)助けようとしないお坊さんたちと、変わらなくなってしまう。

(全てのお坊さんがそうではないが、私の縁の中にはそのようなお坊さんが割と多かった。お寺の制約の中で何とか助けようとしてくれたお坊さんたちもいたが、最も必要な時には届かなかった。御開扉だけは確実に守られたものの、日々の信心については中々・・・。)

でも大丈夫。気にする事はない。オアシス035は、お寺の休憩室でお茶を飲みながら話すような内容だ。1つ1つはお寺の色々な場所でよく聞く話であり、このサイトは私の寺院参詣と信心の経験、見分による集大成だ。

良くも悪くも、今後の日蓮正宗の運営と信心に活かすことはできるだろう。お寺が「こんなけしからんサイトを作る信徒が出るようでは・・・! より適切な指導を心がけよう」と考えてくれたら幸いだ。信徒さんには「ああ、こういう人もいるんだな。それでその後、この姿勢で信心を続けてどうなっていくんだろう?」という観点で、自身の信心の参考にしてほしい。

このオアシス035(サイト)には、今後も私の人生について書ければ、書くつもりだ。(5年、10年単位かもしれない。)

日蓮大聖人を支援した南条時光殿のその後(大聖人を支援したことで上司の不興を買い、家族が着る服もないほど経済に困窮した人のその後)は、武士として名を上げたそうだが、具体的にはわからない。最も興味のある大事なところだが...。

どんな信心がどんな人生を作るのか。どんな最後を迎えるのか。個人で異なる過去世からの因縁と、信心の状態次第で成功も失敗も、(現世的には)鳴かず飛ばずの現状維持の結果もあるだろう。(それぞれ、可能性があるだろう。)私の信心と人生がこの後、どう展開するのか見てほしい。そして、私のその後が良くても悪くても、閲覧者の皆様の前向きな信心に活かしてほしい。


私はオアシス035を作り、ほぼ同じ内容の書籍を出した。(自費出版)まだ心配するほど多くの人の目には触れていない様子だが、もしこの先、病状や生活が大きく改善したとしても、私は後戻りはできない。ここまでの人生は、たとえ喉元を過ぎても、その熱さを忘れることはできないものだ。幸福によって負の感情は消えても(感情の遠く褪せても)、過去の出来事としての記憶と、色々な形で支えてくれた人々・助けようとしてくれた人々への感謝は残るだろう。

病状や生活が大きく改善したなら、御本尊様への感謝と広宣流布により邁進するとともに、オアシス035の影響による謗法罪障消滅と、多くの人の日蓮正宗の信心倍増と広宣流布を祈り続けるだけだ。


🌴 サイト管理人の信心が続いた要因(5つ) 🌴

自分の覚書w  あとで消すか、サイト内の他の場所に移すかも。


困り具合   : 自分がどれくらい困っているのか。(ジャンルや内容を問わず。)
これが一番大事。信心のカギになる。

チャレンジ精神: 為せば成る。成らせるのだ。成せねば困る!成してみせる!という状況。

(自分自身の事に対して、お尻に火が付いているか? という事。

それが延々と続いているサイト管理人は大変ですw 

 思うところは色々あっても、現状なんとかしないと、ならないと困るよね!? 他に何ができる!?

という状況。自分の能力の範囲で、現実的にできる事はやり尽くした段階。)


好奇心    : 本当かな? ワクワク♪ やってみよう。

(御講の話、御書の話、功徳の経験談、教学の本などを燃料に。信行学の学を機会に行に入る。

大日蓮出版や暁鐘の本から、自分の興味に合わせて経典について、諸天の働きなど、何でもOK。)


探求心   : その先に、信心を続けた先に(実際には、自分の身には)何があるのか。


(・向上心 : 信心において、さらに上を求める。自身が功徳を具体的に経験した後に生まれた心。サイト管理人の場合、折伏はここから始まった。)


と、いう訳でw

上記はサイト管理人による、下手で効率の悪い(遠回りな)信心の紹介でしたw

日常の「困ったなぁ」に端を発して、学に進み、行を通じて功徳を実感して信を得た。その後に折伏に取り組み始めた。つまり、お寺の指導とは完全に逆方向から信心を進めた状態。 日蓮正宗の信徒さんは、マネしないようにw これは下手な見本ですw 誰にも覚えがある内容だと思うし、珍しくない。

あれよ・・。 お寺の住職さんたちが言うように、最初から信じて唱える事ができていれば、功徳を得るまでにサイト管理人のような苦労はしないはずw どうすれば最初から信じて(信じ切って)唱えることができるようになるのか、お坊さんたちはその方法を信徒に具体的に教える必要があるよね。 という話。


この5つの要因にぴったりな曲がある。

・ロマンティックをあげるよ   歌手;橋本潮

・摩訶不思議アドベンチャー!  歌手;高橋洋樹

どちらもアニメ ドラゴンボールの曲だ。 ドラゴンボールが好きなわけではないけど、数年前にふと思い出したので・・。(アニメ自体は、小学生の頃に数回 見ただけなんだけどね。尻尾の悟空が可愛いなぁとか・・w)

歌詞には「大人のふりをして諦めたら、奇跡の謎は解けない」とか、「この世はでっかい宝島」とか、私にとってヒントになる言葉があったので、ちょっと覚え書き。

宝島っていうのは、財宝(宝)もあれば罠や危険もたくさんある。それでも島全体を思うと魅力的なんだよね。夢や目標、功徳、宝・・・ あまりに凄い宝だからと「そんなのある訳ない」とか「大変なだけで手に入る訳がない。(もう疲れた)」と諦めたら、実際にそれは「ある」のに手に入らない。諦めた人、宝の存在を信じない人、探そうとしない人にとっては、ない事と同じになってしまう。

日蓮正宗の信心は転重軽受の功徳や、三毒を誘発させる三障四魔の妨害もあって大変だけど(歌の宝島としては、妖怪変化のようなもの。一朝一夕にはクリアできない課題)、信心を続けた先に宝(即身成仏・現世安穏・後生善処など)があるから、それを信じて続けようかと。

そうして功徳の確証を少しずつでも得て、最後まで続ける勇気を持ったなら、宝は必ず手に入る。





φ(。。;) 鋭意下書き中w (裏でワードに書いてるところw)


ここからは、あっさり書くよ~。「今日と違う明日を作るプロジェクト」の始まりですw (´∀`*)

サイト管理人のマニアとか(いるのか?w)その後が気になる人とか、出版準備・オアシス035の作成過程などが見たい人は、お楽しみに✨

・・・

(・・;) ・・・ すみません。 書く予定が・・・ 来年(2022年)の3月くらいになりそうです💦

何だかんだで私も少し疲れたので(元々、過去を振り返る趣味はないので)、ちょっと休憩がてら他の作業に入ります。2月中に完了する予定(サイトでもお知らせする予定)です。その後、3月以降にHP更新を再開する予定です。

(目の不調を押して発光体のPC作業をするのは負荷がかかるのです。趣味でもなく、日常生活を押してまでサイトを書くのは、オアシス035を書いた経緯、どういう意識のもとに書かれたのかという事、趣旨をより適切に知らせる目的と、

住職さんからより適切な指導を頂く資料となるため、水の信心の参考を増やすためにも「あなたも(自身の信心の経験や、信心の背景や日常を)書いてみませんか?」と、日蓮正宗の信徒さんへ誘いをかけた手前、自分がまずやらないと… という理由がありました。)


どんな人も、生きている限りドラマの「乞うご期待!」なのです。サイト管理人は諦めないで生き抜きます。

転んでも、ただで起きるほど優しくありません。(ΦωΦ)フフフ...




(概要)


 秋、38度~39度を3回。エアロバイクが切っ掛けと思われる💧 ある住職さんから祈り方のアドバイスを頂く。非常に効果的で確信を得る。「名乗りを上げるとは...、余が願いに力を添え云々とは...もしかして、こういうことか。昔聞いた話は、プラシーボじゃなかった💦」

2021年(今年)2月 オアシス035書籍版を出版。 3月 ようやく遮光障子が完成5月、業者の勧めでシャッターが取り付けられる✨ 5月下旬から急にインスリンの効きが良くなり、A1cが下がる。同時に、脳機能が辛い。低血糖に追われ、バランス調整に苦慮する。急降下による眼の影響を気にしつつ。

脳機能的には非常に困るが、身体的には年齢も加味してA1cは下げたいところ。急に下がった原因は検査をしてもわからず、日々対応に苦慮している。食事を増やしてもインスリンを減らしても、難しい。これまでとは完全に効き方が変わった印象。脳機能的に、やはり家族と同居なのが辛い。

春、父の血便 夏、父の大腸検査。異常なしとはいうものの・・・。

7月下旬から、脳のためにココナッツオイルを試す。脳機能の底上げにはかなり役立つ印象。助かった。しかし内臓疲労が強い。(9月上旬からココナッツオイルは一時停止中。)

8月、洗濯機の不調・経年劣化による買い替え。静音の洗濯機を求めたが、両親の理解は得られなかった。

秋(現在)9月、トイレ問題の改善。ようやく7割方、安定的にトイレを使えるようになる。9月中旬から、さらにインスリンの使用量が減る。脳機能とのバランスに苦慮。 10月、姉の極端な話し方によって脳機能が悪化。母に手紙を書き、日常の会話を減らしてもらう事に理解を得られる。 脳の負荷が軽減されて、日常の動作がスムーズになる。庭の金木犀を見たくてシャッターを開けるようになった事で、閃輝暗点が誘発される💧 今回は治まりが悪い凹

最後の3年。さっさと書き上げたいが、時間がかかりそうだ。(-ω-;)

お風呂も安定的に入れるようになりたいな...。お風呂の大きな窓にシャッター付けたいな‥。



オアシス035
2020年2月12日 サイト工事開始
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